<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>オイコスチャーチ &#187; 証(あかし)2015</title>
	<atom:link href="http://oikoschurch.net/category/blog/testimony2015/feed" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://oikoschurch.net</link>
	<description>福岡県古賀市にあるプロテスタントの教会です</description>
	<lastBuildDate>Mon, 30 Mar 2026 23:44:23 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
	<generator>http://wordpress.org/?v=3.2.1</generator>
		<item>
		<title>　12月の証(あかし)～S.Uさん～</title>
		<link>http://oikoschurch.net/blog/testimony2015/1474</link>
		<comments>http://oikoschurch.net/blog/testimony2015/1474#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 28 Nov 2015 09:58:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator>oikos</dc:creator>
				<category><![CDATA[証(あかし)2015]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://oikoschurch.net/?p=1474</guid>
		<description><![CDATA[私の通っていた教会は、とても保守的なところで、クリスチャンの女性は、どちらかというと質素でおとなしい方が多かったようでした。男性が頭と教える聖書は、女性に、しとやかに、男性に仕えるように、と説いているところがあり、教会も [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: small;">私の通っていた教会は、とても保守的なところで、クリスチャンの女性は、どちらかというと質素でおとなしい方が多かったようでした。男性が頭と教える聖書は、女性に、しとやかに、男性に仕えるように、と説いているところがあり、教会も、目に見えて、そういう女性を望んでいるような気がしました。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">　そういう教会の雰囲気もあって、若い日の私は、神は、私をある型にはめて矯正しようと教育する、道徳心の熱い父親のようなものと感じていました。　そのために、私は、神様を愛していましたが、きゅうくつにも感じていました。</span><span style="font-family: Century; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-size: small;">　私は、きゅうくつに感じると、</span></p>
<p><span style="font-size: small;">「私は、こうしたい。こうなりたい。私の好みはこうです！」</span></p>
<p><span style="font-size: small;">　いくらでも、主に文句を言い、自分の考えを主張しました。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">自分の進路や生き方を、主に尋ねて導きに任せる、というより、自我の強い娘が、自分のお父さんに、あれこれ、希望や不満をぶちまけるような感じです。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">　</span><span style="font-size: small;">　でも、今になって考えると、実は、一番、自分を型にはめようとしていたのは、当の自分でした。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">クリスチャンライフとは、本当の自分を否定して、主のみこころを求めていく物だ、と、私自身が一番そう思っていたのだと思います。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">色んな人生の岐路にあるときに、自分の好み、自分のやりたいこと、そういうことをどんどん主に主張するくせに、どこかで、主に対して、自分の気持ちを強く主張することは間違っていると、当の私が考えていたのかもしれません。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">　でも、主が私の人生にしてくださったことをあらためて省みたときに、私は、主が私に求めていたのは、自分を否定することでも、ただのイエスマンになることでもない、と理解し始めました。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">　主が、型にはまったクリスチャンライフへ私を導くことを望んでいるのではなく、主は、主と私の、本音でのぶつかり合いをとても望まれていた、と知りました。おそれおおくも、想像もつかないほどの大きな方が、ちっぽけな私と人格的な交わりを、心の底から、喜び楽しんで下さっていた、と、感じることができました。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">主は、どんな時でも、私を型にはめることなく、私が言ってくる主張、私の好み、私の疑問。それらすべてを、いつも好ましく受け止めていてくださっておられたのです。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">「主のみこころのようになりますように！」</span></p>
<p><span style="font-size: small;">と祈りながらも、</span></p>
<p><span style="font-size: small;">「私は、これがいい！」</span></p>
<p><span style="font-size: small;">とどこかで思っていたりすると、主は、その思いをいつも拾い上げていました。そして、きれいな言葉でおおった祈り心より、私の本音を求めておられました。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">　苦難や難問にぶつかるたびに、私は主に、大声で負の感情をぶちまけてしまいましたが、主は、それを、良しとしてくださっていました。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">主が、聞きたいのは、私の本音でした。うその従順ではなく、私の心の底を知りたがっておられたのです。</span><span style="font-family: Century; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-size: small;">　そして、問題が解決したとき、主が備えた物のすばらしさに驚嘆しました。私の好みや、私のつぶやきさえもお聞きになって、解決の道をつけてくださっていました。　</span></p>
<p><span style="font-size: small;">　最近私は、主との交わりが、はるかかなたの主権者と一民衆といった交わりではなく、ほんとに、テーブルに座って顔つき合わせる父との交わりであることを感じます。不平不満の大文句も、どのささやきも、どのたわいないおしゃべりも、主が、ほほえみを持って耳を傾けてくださっている。しかも、それを、自分に語ることを、とても喜んで下さっている。そう感じるのです。</span></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://oikoschurch.net/blog/testimony2015/1474/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>　11月の証(あかし)～「忙しさの中で忘れかけていたこと」 Y.Iさん～</title>
		<link>http://oikoschurch.net/blog/testimony2015/1447</link>
		<comments>http://oikoschurch.net/blog/testimony2015/1447#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 02 Nov 2015 00:38:13 +0000</pubDate>
		<dc:creator>oikos</dc:creator>
				<category><![CDATA[証(あかし)2015]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://oikoschurch.net/?p=1447</guid>
		<description><![CDATA[私が聖書を読んで神様に気づかされたことを共有したいと思います。 今回読んでいたのは、聖書のエステル記と言う場所の1章で、簡単に説明すると以下のような内容です。 ある時、ペルシャのアハシュエロス王がお城で身分の低い者から高 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div>
<p align="left">私が聖書を読んで神様に気づかされたことを共有したいと思います。</p>
<p align="left">今回読んでいたのは、聖書のエステル記と言う場所の1章で、簡単に説明すると以下のような内容です。</p>
<p align="left">ある時、ペルシャのアハシュエロス王がお城で身分の低い者から高い者に至る全ての民のために宴会を催しました。この宴会には有力者、貴族、諸州の首長たちも出席していました。</p>
<p align="left">宴会最後の日に王様は、王妃であるワシュティの美しさを皆に見せるため家来たちに王妃を連れて来るように命じました。</p>
<p align="left">しかし、王妃は自分も宴会を催していたので、王の命令を拒否しました。</p>
<p align="left">このことに王様は非常に怒り、王妃の位をワシュティから別の婦人に与えることに決めました。</p>
<p align="left">この後、主人公であるエステルという娘が王妃に選ばれることになるのですが、詳細はエステル記を読まれてみて下さい。</p>
<p align="left">いつもは、主人公エステルが出てくる前の話なので、軽く流して読んでいたのですが、今回、祈って読んでいるとなぜか目に留まりました。</p>
<p align="left">聖書の中でイエス様と自分の関係を花婿と花嫁に例えられている箇所があります。</p>
<p align="left">それを今回の箇所に当てはめてみるとイエス様が私に祝福を与えようと呼ばれることがあるのに、王妃のように自分の用事だけで拒否すれば、イエス様は別の者に祝福を与えてしまうということに気づかされました。</p>
<p align="left">というのは、私が最近仕事が忙しいために祈りと御言葉を大切にすることを忘れかけていたからです。</p>
<p align="left">1章の最後にはこうあります。</p>
<p align="left"><strong>「そこで王は、王のすべての州に書簡を送った。各州にはその文字で、各民族にはそのことばで書簡を送り、男子はみな、一家の主人となること、また、自分の民族のことばで話すことを命じた。」エステル記1章22節</strong></p>
<p align="left">この箇所からも、男子＝神様ととらえると自分の中で神様を主人とし、神様の言葉である御言葉を一番にするように言われていることに気づかされ、悔い改めさせられました。</p>
<p align="left">忙しいを理由にするのではなく、その中でも神様の祝福の呼びかけにいつでも応えるために祈りと御言葉の時間をとることを諦めないようにします。アーメン</p>
<p><span style="font-family: Century; font-size: small;"> </span></p>
</div>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://oikoschurch.net/blog/testimony2015/1447/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>　10月の証～安部哲さんのご紹介～</title>
		<link>http://oikoschurch.net/blog/testimony2015/1428</link>
		<comments>http://oikoschurch.net/blog/testimony2015/1428#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 29 Sep 2015 00:42:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator>oikos</dc:creator>
				<category><![CDATA[証(あかし)2015]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://oikoschurch.net/?p=1428</guid>
		<description><![CDATA[　今回は安部哲(あべさとし)さんという一人のクリスチャンをご紹介します。 　安部さんは1913年(大正2年)福岡県古賀市で代々浄土宗の家に生まれます。若いときに浄土宗の修業を重ね、在家の僧の資格も取ります。 　ひよこのオ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: small;">　今回は安部哲<span style="font-family: Century;">(</span>あべさとし<span style="font-family: Century;">)</span>さんという一人のクリスチャンをご紹介します。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">　安部さんは<span style="font-family: Century;">1913</span>年<span style="font-family: Century;">(</span>大正<span style="font-family: Century;">2</span>年<span style="font-family: Century;">)</span>福岡県古賀市で代々浄土宗の家に生まれます。若いときに浄土宗の修業を重ね、在家の僧の資格も取ります。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">　ひよこのオスメスを鑑別する鑑別師として、<span style="font-family: Century;">3</span>度世界一になる腕前の持ち主でした。ヨーロッパでの拠点をノルウェーに置き、日本と往復しておられました。安部さんはノルウェーで出会った宣教師から聖書を<span style="font-family: Century;">3</span>年学びましたが、「イエス・キリストを信じるだけで救われる」という事がどうしても信じられませんでした。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">　しかし<span style="font-family: Century;">1965</span>年のある晩、地獄に突き落とされる幻を見て、無我夢中で叫びました。でも長年口ずさんできた「南無阿弥陀仏」という経文は出てこず、「イエス様、助けてください、助けてください」と叫んだのです。その途端に光の中に入れられました。こうして救いはただイエス様にのみにあることを体験し、直ちに信仰を持ちました。そしてすぐにこのイエス様のことを世界各地に伝える人生へと変えられました。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">　<span style="font-family: Century;">1960</span>年代当時、宣教師が入国できなかった共産圏諸国にも、鑑別師としての安部さんの突出した技術を求められ、国賓並みの待遇で税関も無審査で入国できました。そこで安部さんは聖書をひそかに持ち込んでは配布し、共産圏伝道の草分けの一人となりました。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">　<span style="font-family: Century;">1970</span>年代から<span style="font-family: Century;">80</span>年代は日本の高度経済成長に伴い、海外に移住する日本人が増えました。それを知った安部さんは、ヨーロッパ各地にいる日本人を訪ね、イエス様のことを伝え、その中から救われる日本人が出てきました。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">　数々のエピソードをお持ちの安部さんですが、ご本人は「皆はわしのことをユニークだとかいうが、わしほど普通の人間はおらんたい。わしは自分にできることをしとるだけじゃ。それも、神様がさせてくださるからできるんじゃ。伝道は自分の力でするもんでなか。全地を支配している全能の神に、より頼んでするとです」と言われています。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">　イエス様が十字架によって自分の罪を贖い、地獄に行くはずだった自分を天国行きに変えて下さった。そのイエス様の愛に何とか応えたい、その心がすべての原動力でした。</span></p>
<p><span style="font-family: Century; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-size: small;"><strong>「神の全能の力の働きによって、私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。」エペソ人への手紙<span style="font-family: Century;">1</span></strong><strong>章<span style="font-family: Century;">19</span></strong><strong>節</strong></span></p>
<p><span style="font-family: Century; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-size: small;">　来たる<span style="font-family: Century;">10</span>月<span style="font-family: Century;">25</span>日<span style="font-family: Century;">(</span>日<span style="font-family: Century;">)</span>のオイコスチャーチ記念礼拝では、この安部哲さんの生涯からフリーライターの野口和子さんがメッセージをしてくださいます。ぜひお越しください！</span></p>
<p><span style="font-family: Century; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-size: small;">参考：野口和子著「この愛に捉えられて―信徒伝道者・安部哲と霊満クルセード―」より</span></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://oikoschurch.net/blog/testimony2015/1428/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>　9月の証(あかし)～Gattesgnadeさん～</title>
		<link>http://oikoschurch.net/blog/testimony2015/1331</link>
		<comments>http://oikoschurch.net/blog/testimony2015/1331#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 01 Sep 2015 10:00:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator>oikos</dc:creator>
				<category><![CDATA[証(あかし)2015]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://oikoschurch.net/?p=1331</guid>
		<description><![CDATA[我らの父、主イエス・キリストよ。 Gattesgnade 今回、八月の証を勧められたのは主の導きであろうと思い、挑んでみたいと思う。 どうかこの駄文に目を通される方、あなたの胸をかして頂きたい。どうかあなたが神の慈悲を現 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: x-small;">我らの父、主イエス・キリストよ。</span></p>
<p align="right"><span style="font-size: x-small;">Gattesgnade</span></p>
<p><span style="font-size: x-small;">今回、八月の証を勧められたのは主の導きであろうと思い、挑んでみたいと思う。</span></p>
<p><span style="font-size: x-small;">どうかこの駄文に目を通される方、あなたの胸をかして頂きたい。どうかあなたが神の慈悲を現して最後迄読んで頂けますように。</span></p>
<p align="left"><span style="font-size: x-small;">又、感情に押し流されると余計な事を書いてしまいそうなので出来るだけその様な表現は控えようと思う。</span></p>
<p><span style="font-size: x-small;"> </span></p>
<p><span style="font-size: x-small;">教会にくる前の私</span></p>
<p><span style="font-size: x-small;">①愛されている実感がなかった</span></p>
<p><span style="font-size: x-small;">②寂しさでいっぱいだった</span></p>
<p><span style="font-size: x-small;">③絶望していた</span></p>
<p><span style="font-size: x-small;">④子育ての事で悩み過ぎていた（私の息子達はとても手のかかる子だ！）</span></p>
<p><span style="font-size: x-small;">⑤夫婦関係が悪かった</span></p>
<p><span style="font-size: x-small;">⑥友達が一人しかいなかった</span></p>
<p><span style="font-size: x-small;">⑦三度の食事もとれなかった（水を飲んでももどしてしまう！）</span></p>
<p><span style="font-size: x-small;">⑧ほとんど寝たきりだった</span></p>
<p><span style="font-size: x-small;">⑨毎日泣いていた</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: x-small;">教会に来てからの私</span></p>
<p><span style="font-size: x-small;">①主に愛されている実感が芽生えた</span></p>
<p><span style="font-size: x-small;">②寂しい時が減った。全く寂しさを感じない、とは言えない。時々寂しさは訪れる。でも気にする程ではない。そんな時は外に出るか、聖書を読むか、賛美を聴くと大抵治まるものだ！</span></p>
<p><span style="font-size: x-small;">③11年もの絶望？　神様が終わらせれくれた。</span></p>
<p><span style="font-size: x-small;">④次から次へ押し寄せてきていた息子達への悩みは整理されて今は一つに。</span></p>
<p><span style="font-size: x-small;">⑤夫婦関係は、平和。</span></p>
<p><span style="font-size: x-small;">⑥友達が一人から三人に増えた。（何より神を中心にした家族ができた！）</span></p>
<p><span style="font-size: x-small;">⑦三食きちんと食べられるようになった。</span></p>
<p><span style="font-size: x-small;">⑧今年は息子をおんぶして海で泳ぎました。</span></p>
<p><span style="font-size: x-small;">⑨教会で神様に、聖霊さまに触れられて涙。感動の大つぶ涙ポロポロ。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: x-small;">今、しげしげと自分が書いているものを眺めて一番驚いているのは他でも無い私である。</span></p>
<p><span style="font-size: x-small;">ううむ。一年色々あったがこんなに変わったのかぁ。と感嘆するばかり。</span></p>
<p><span style="font-size: x-small;">これはイエス・キリストから愛されている事を学び、愛してみない事には体験できないものなのかもしれない。</span></p>
<p><span style="font-size: x-small;">ところで日本人でも「努力」と言う言葉がなんとなく好きになれない人は少なくないだろうと思う。私もその内の一人である。努力というのはつきつめて考えれば、期待が込められているのではないかと思う。その期待が裏切られた時、それまでの「努力」と言うものを肯定できるかできないかで絶望というものを味あわされる。</span></p>
<p><span style="font-size: x-small;">しかし聖書こそが、力を入れるべき所はどこか、気をつけなければいけない所はどこかを書いてくれている、言わば最強の指南書なのだ。日本は神仏混合の国だから、文化圏が違うから、と言って甘く見てはいけない。読んでみると、人間の本質とは国も文化も関係ない事に驚くばかりだ。</span></p>
<p><span style="font-size: x-small;">しかし最強の指南書は難しい所もある。良い導き手やアドバイザー、道を逸れている時に指摘してくれる神の家族（教会に集う方々）が必要不可欠である。</span></p>
<p><span style="font-size: x-small;">自分の悟りで以って「努力」をし、後に待ちうける絶望か肯定をスロットマシーンで運だめしするか、神の愛を一身に受け、最強の指南書を手にして神の道を歩むか。私は後者をお勧めする。</span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: x-small;">今日もハレルヤ！主よ！</span></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://oikoschurch.net/blog/testimony2015/1331/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>　8月の証(あかし)～「私の十字架とイエス・キリストの十字架」Ｋ.Mさん～</title>
		<link>http://oikoschurch.net/blog/testimony2015/1323</link>
		<comments>http://oikoschurch.net/blog/testimony2015/1323#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 30 Jul 2015 21:40:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator>oikos</dc:creator>
				<category><![CDATA[証(あかし)2015]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://oikoschurch.net/?p=1323</guid>
		<description><![CDATA[ハレルヤ　父御子聖霊なる偉大な神様をほめたたえます。 　その後、神である主は土地のちりで人を形作り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きたものとなった。神である主は東の方エデンに園を設け、そこに主の形作った人 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;">ハレルヤ　父御子聖霊なる偉大な神様をほめたたえます。</span></p>
<p style="text-align: left;"><span style="font-size: small;">　</span><span style="font-size: small;">その後、神である主は土地のちりで人を形作り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きたものとなった。神である主は東の方エデンに園を設け、そこに主の形作った人を置かれた。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">　神である主は人に命じて仰せられた。あなたは園のどの木からでも思いのまま食べて良い。しかし善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それをとって食べる時、あなたは必ず死ぬ。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">　そこで神である主は、人からとったあばら骨をひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れてこられた。アダムとエバのお話ですが、エバが神様の仰せに逆らい、禁断の実を食べ、夫にも食べさせエデンの園から追い出されてしまいます。それで人は神様の栄光を受けられず、荒野で労し、生きなければならなくなりました。<span style="font-family: Century;">(</span><strong>創世記<span style="font-family: Century;">2</span></strong><strong>章7～8、16～17、<span style="font-family: Century;">22</span></strong><strong>節より</strong><span style="font-family: Century;">)</span></span></p>
<p>&nbsp;</p>
<p><span style="font-size: small;">　私の十字架</span>※<span style="font-family: Century;">1</span><span style="font-size: small;">とイエスキリストの十字架と云うテーマで証させていただきます。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">　私は人一倍なまいきで高慢で、人より優位に立ちたい欲望のかたまりでした。自分ながら嫌な性格でした。これは人の力では修復できない十字架です。重かったです。つらかったです。神様さえ憎しみの対象でした。幸せなカップルや家族を見るとひそかにのろいました。闇の中を希望もなく唯々自分を打ちたたきがんばりました。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">　あるとき、神様のあわれみにより教会へと導かれ、聖霊様に触れられ、変えられました。でも教会はなぜ十字架がシンボルなのかもわかりませんでした。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">　後になって、はっきりくっきりとイエス・・キリストが十字架の上で手に五寸釘をさされ、わき腹をやりで突かれ、息を引き取るとき「エロイ　エロイ　ラマ　サパクタニ」と叫ばれ死なれました。「わが神　わが神　なぜわたしを見捨てるのですか」と云う意味だそうですが、神のひとり子のイエス様が、父なる神様と断絶を味わわれたのです。</span><span style="font-size: small;">こうまでして、この私の汚れた霊肉たましいを贖ってくださった神様の愛にたましいをゆさぶられ、ほんとうに生まれ変わりました。新生です。<strong>「人は新しく生まれなければ神の国を見ることはできません。</strong><strong><span style="font-family: Century;">(</span></strong><strong>ヨハネの福音書<span style="font-family: Century;">3</span></strong><strong>章<span style="font-family: Century;">3</span></strong><strong>節<span style="font-family: Century;">)</span></strong><strong>」</strong></span></p>
<p><span style="font-size: small;">　今は創造主なる神様を礼拝できる特権、さんびのよろこび、聖書通読、兄弟姉妹の交わり、限りない自由、心の奥から湧いてくる平安、言葉には云い現わせない満ち足りる幸せ、神様の愛の素晴らしさを流し出せる器へと日々成長させてくださることを、信仰によって感謝しています。</span></p>
<p style="text-align: right;"><span style="font-size: small;">栄光在主</span><span style="font-family: Century; font-size: small;"> </span></p>
<p><span style="font-size: small;">―――――</span></p>
<p><span style="font-size: small;">※<span style="font-family: Century;">1(</span>私の<span style="font-family: Century;">)</span>十字架…ここでは「生きる中で背負っていること・もの」を表す比喩表現。</span></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://oikoschurch.net/blog/testimony2015/1323/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>　7月の証（あかし）　～Ｓ．Ｓさん 後編～</title>
		<link>http://oikoschurch.net/blog/testimony2015/1221</link>
		<comments>http://oikoschurch.net/blog/testimony2015/1221#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 30 Jun 2015 23:03:31 +0000</pubDate>
		<dc:creator>oikos</dc:creator>
				<category><![CDATA[証(あかし)2015]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://oikoschurch.net/?p=1221</guid>
		<description><![CDATA[20代後半の冬、母と買い物に出かけました。 買い物が終わり、外に出るとみぞれが降っていました。 母は「お母さんが車とってくるからここで待ってて」と車まで走って行きました。   私は少し心配になり、ついずっと無視していた神 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">20代後半の冬、母と買い物に出かけました。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">買い物が終わり、外に出るとみぞれが降っていました。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">母は「お母さんが車とってくるからここで待ってて」と車まで走って行きました。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">私は少し心配になり、ついずっと無視していた神様に「お母さんをお守りください」と祈りました。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">その時「久しぶりだね。わたしはとても嬉しい。」という思いが私の中に入ってきました。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">私はとても感動し涙が出そうになりましたが、公共の場だったのでこらえ、何もなかったかのように家に帰りました。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">でも内心は、「神様は私の祈りを喜び、待っていてくださった」ことにすごく感激していました。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">その日の夜寝る前に、どうしてもその感動が忘れられず、久々に神様に祈りを捧げました。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">「神様、お久しぶりです。私もあなたを感じることが出来てとても嬉しかったです。」</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">そして「イエス様を100パーセント信じている自信がありません。信じられるようになりたいです」</span><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">と祈りました。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">すると「あなたは最近『死んでから地獄に行くのが本当に怖い』と考えていることが多いけど、</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">でもそんなあなたの代りにすでにイエス様があなたが受けるはずだった苦しみを全部受けたんだよ。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">その時のイエス様は人間だったから、とても怖かったし、痛かったし、悲しかったし、辛かった。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">でもあなたが死んでも経験したくないと思っていたことを、あなたの代りに全部引き受けたんだよ。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">そのことを『心から感謝』しているということは100パーセントイエス様を信じているということ。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">だからあなたは安心してわたしのもとに来なさい。」という思いが与えられました。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">私は涙を流しながら心から感謝しました。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">イエス様は私を天国へ連れて行ってくださる救い主ということを、小さいころから教わってきたことですが、やっと本当に受け入れることができたのです。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">この時私はほんとうのクリスチャンになったのです。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">そして、なぜ今まで私の祈りを聞いて下さらなかったのか、と尋ねました。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">神様は「わたしの時と計画がある」ということと、「人間の力だけでは神を信じることはできない、神の力がそうさせる」ということを教えてくださいました。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">それから、私は教会にも行けるようになりました。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">ずっと怖がっていた教会ですが、「神様に会いに行きたい！礼拝したい！」という気持ちが強く、</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">思い切って行ってみたのです。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">新しい教会は、聖霊様が満ち溢れた教会で信徒の方々もほんとうに神様による家族のように見えました。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">今は新クリスチャン1年目という新しい気持ちで毎週教会に通い、すばらしい神様の奇跡と癒し、ご計画を体験しています。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">ほんとうに神様に感謝です。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">ハレルヤ！</span></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://oikoschurch.net/blog/testimony2015/1221/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>　6月の証（あかし） ～Ｓ．Ｓさん 前編～</title>
		<link>http://oikoschurch.net/blog/testimony2015/1248</link>
		<comments>http://oikoschurch.net/blog/testimony2015/1248#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 31 May 2015 22:43:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator>oikos</dc:creator>
				<category><![CDATA[証(あかし)2015]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://oikoschurch.net/?p=1248</guid>
		<description><![CDATA[私は小学校三年生の時に洗礼を受けた、三代目クリスチャンです。   クリスチャンと言っても私の場合、当時親に連れられて行っていた教会で、 小学三年生ぐらいになったら洗礼を受ける子供たちが多かったので、 それに乗っかって受け [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">私は小学校三年生の時に洗礼を受けた、三代目クリスチャンです。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">クリスチャンと言っても私の場合、当時親に連れられて行っていた教会で、</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">小学三年生ぐらいになったら洗礼を受ける子供たちが多かったので、</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">それに乗っかって受けた、言わばクリスチャンもどきでした。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">実際のところ神様の存在は信じていたけど、</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">「イエス様はあなたの罪の身代わりになって死なれた」といくら教えられても、</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">イエス様を自分の救い主として受け入れる、ということはあまりよく分かっていなかったのです。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">小学校高学年の時にイジメにあい、不登校になりました。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">教会には教育関係の方が多かったので、私たち家族はあまりよく思われませんでした。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">礼拝も日曜日なのに歴史の授業をさせられている、という感じでたいくつ。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">たいくつそうな感じを素直に表してしまうと、「これだから学校に行かない子は」と影でよく言われました。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">だんだんと教会に行くのが辛くなり、逆に教会のクリスチャンに対して偽善者たちの集まりと思うようになり、</span><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">ついには教会に行くのが怖くなり、ほとんど教会に行かなくなりました。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">ただそんな中、「神様は人間とは違うからきっと私のことを批判したりはしないだろう」と少しばかりの期待は持っており、時折、祈ったりもしていました。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">幸いにも、私が祈ったり賛美したりすると、時々聖霊さまが感動の涙を与えてくださったので、私はこの神様が本物だという確信は持っていました。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">20代になった私は、やはり教会には苦い思い出しかなく、ずっと行っていませんでした。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">もちろん聖書もディボーション<span style="font-size: xx-small;">※1</span>などもたいくつなのでまったく手を付けていません。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">でも内面、父や母の信仰を羨ましく思っていました。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">というのも、イエス様を信じ、自分の救い主として受け入れなければ天国へは行けないということを教えられていたからです。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">でも私は聖霊さまに触れられる経験をしているにもかかわらず、ずっとイエス様を100パーセント救い主として受け入れている確信がなく、焦っていました。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">時折ケイキョ<span style="font-size: xx-small;">※2</span>や終末の話が出ると、私は不安にかられました。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">世の中では地震や津波など、予言の現象が度々起こっていたので、ますます焦っていました。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">そして神様に「どうか私を救ってください、信じさせてください」と何度も何度も祈りました。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">でもその祈りはすぐには聞かれませんでした。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">丁度そのころから、姉や妹が新しい教会に行くようになり、とても恵まれて、満たされ、幸せな顔をして帰ってくるようになりました。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">奉仕活動<span style="font-size: xx-small;">※3</span>にも熱心で、早天祈祷にも毎日のように通います。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">私は内心本当に羨ましく、私もそうなりたい、と思いましたが、20代になったばかりのころ社交不安障害とウツにかかり、教会には行けませんでした。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">そしてますます私は焦りました。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">早く信じないと！早く信じないと！地獄には行きたくない！といつも思っていました。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">何度も祈りましたがいつも答えは返ってきませんでした。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;"> </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">私は祈るのに疲れたので「もうお任せします。あなたのご計画がなりますように」と最後に祈り、</span><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">それから「委ねる」という名の無視を数年間にわたって行いました。</span></p>
<p style="text-align: right;"><span style="font-family: andale mono,times;">（後半へ続く）</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">――――― </span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;"><span style="font-size: xx-small;">※1 </span>ディボーション・・・聖書を読み、静まって黙想する時間を持つことで、神様が語られることに耳を傾けること。</span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;"><span style="font-size: xx-small;">※2 </span></span><span style="font-family: andale mono,times; font-size: x-small;">携挙(けいきょ）・・・<span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">イエス・キリストが再び地上に来られる時、クリスチャンが空中に引き上げられ、いつまでも神とともにいられるようになること。（テサロニケ人への手紙第一4章16～17節より）</span></span></p>
<p><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;"><span style="font-size: xx-small;">※3 </span>奉仕活動・・・教会生活のためにする色々な働きのこと。人からの報酬のた<span style="font-family: andale mono,times;">めではなく</span>、神様に対して捧げるもの。</span></p>
<div>
<p align="right"><span style="font-family: ＭＳ Ｐゴシック;">Ｘ</span></p>
</div>
</div>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://oikoschurch.net/blog/testimony2015/1248/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>　5月の証(あかし)～「生きて働かれる神様」K.Mさん～</title>
		<link>http://oikoschurch.net/blog/testimony2015/1209</link>
		<comments>http://oikoschurch.net/blog/testimony2015/1209#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 03 May 2015 07:25:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator>oikos</dc:creator>
				<category><![CDATA[証(あかし)2015]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://oikoschurch.net/?p=1209</guid>
		<description><![CDATA[生きて働かれる全能の神様を証しさせて頂きます。 愛なる神様は、天地万物を人間のために美しくバランスよく創造されました。ことばによって「光よ。あれ。」と言われました(創世記１章)。天と地を海と植物、動物、太陽と月と星々、非 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: small;">生きて働かれる全能の神様を証しさせて頂きます。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">愛なる神様は、天地万物を人間のために美しくバランスよく創造されました。ことばによって「光よ。あれ。」と言われました</span><span style="font-family: Century; font-size: small;">(</span><span style="font-size: small;">創世記１章</span><span style="font-family: Century; font-size: small;">)</span><span style="font-size: small;">。天と地を海と植物、動物、太陽と月と星々、非常にバランスよく、満足されそこでご自身の形に似せて人を創造されました。アダムのあばら骨からエバが造られ男と女に造られ、最初に女が神様の命令を破り、禁断の木の実を食べ、夫のアダムにも食べさせた。エデンの園を追われた、人間の罪の始まり、と聖書にあります。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">　私も罪人としてこの世に生を受け、神様も知らず希望もなく、唯々苦労つづきの４０年間でした。自我が強く、どん欲で何でも人のせいにして憎んだり、羨んだり、人の不幸を願ったりもしました。今思うと鬼のようだとぞっとします。きっと地獄行きだと信じていました。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">　そんな私を神様は見ておられ、可哀想と思われたのか、ある日、イエス・キリストのからだなる教会へと導いて下さいました。聖霊なる神様が私にふれて下さいました。これは言葉では説明できませんが、心の中が変わったのです。いえ変えられたのです。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">神様が人となってこの世に生まれて下さった、この人こそイエスキリスト、聖霊なる神様によっておとめマリヤからお生まれ下さった。クリスマスのお祝いは全世界の人々に喜びを、祝福と恵みを、天地万物を創造された神様から注がれます。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">　聖書のみことばは生きていて今も私たちに語られています。私が苦しみもだえていたころ、</span><strong><span style="font-size: small;">「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく。私の荷は軽いからです。」マタイの福音書１１章２８～３０節</span></strong></p>
<p><span style="font-size: small;">このみことばにより今まで味わったことのない平安とよろこび、目に入るものはみな輝き、人をいとおしく思うやさしさが、ふつふつと湧いてくるような感じでした。</span></p>
<p><span style="font-size: small;">　地獄行きだったはずのこの私にあわれみ深い神様は天国行きのチケットを無料でお与えくださいました。これは事実です。この父・御子・聖霊なる三位一体の愛の神様に最高の礼拝と感謝をおささげ申し上げます。</span></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://oikoschurch.net/blog/testimony2015/1209/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>　4月の証（あかし）～Fさん～</title>
		<link>http://oikoschurch.net/blog/testimony2015/1145</link>
		<comments>http://oikoschurch.net/blog/testimony2015/1145#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 06 Apr 2015 23:09:16 +0000</pubDate>
		<dc:creator>oikos</dc:creator>
				<category><![CDATA[証(あかし)2015]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://oikoschurch.net/?p=1145</guid>
		<description><![CDATA[ハレルヤ！！主の御名を賛美します。 私は、２７年間喫煙をしていました。一日２０本のペースでタバコをすっていました。 今だからいいますが、１８歳からすっていました。 しかし、今は禁煙しています。かれこれ６年になります。 禁 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: small;">ハレルヤ！！主の御名を賛美します。</span></p>
<p>私は、２７年間喫煙をしていました。一日２０本のペースでタバコをすっていました。</p>
<p>今だからいいますが、１８歳からすっていました。</p>
<p>しかし、今は禁煙しています。かれこれ６年になります。</p>
<p>禁煙するきっかけは、お見合い相手（今の妻）との出会いで、付き合う過程で私は、クリスチャンです。と言われ少しとまどいましたが、特別な事があるの？と聞いたら日曜日には教会で礼拝しています。一度是非来て見て下さい。と言われたので、今まで教会に行ったことがなかったので一度行って見たいと思い２００９年１月１１日に人生初の教会・礼拝体験をしました。教会の皆さんがとても「あったかく」感じて、また来ようと思い、ついつい６年通っています。</p>
<p>もし私と付き合ってくれるのであればタバコの本数を減らしてくれませんか？と言われエ～っと思いましたが、少しずつならいいよと答えました。しかし、彼女をもっと知りたい。クリスチャンをもっと知りたい。と思い聖書を読み始めました。初めは、ちんぷんかんぷんで難しく思えましたが、なるほどと思えることが沢山書いてあり、その中で、人は神様によって創られ、人は神様からの授かり物・預かり物である事を知りました！そう思ったときに、この体は神様の物、故に粗末に扱ったり、汚してはならない！と強く思ったらもうタバコなんてすってる場合なんかじゃない！もっともっと自分を大事にして、いつか神様にこの体を返す時まで、いたわっていかないといけない！！と思ったら、あっさりタバコをやめる事が出来ました。そして、２７年の汚れを悔い改め、聖められる様に祈っています。主に感謝・感謝です<strong>。</strong></p>
<p><strong><span style="font-family: Century;"> </span></strong></p>
<p><strong>ローマ人への手紙１２章１～２節</strong></p>
<p><strong>そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。</strong><strong>あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。</strong></p>
<p><strong>それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。アーメン</strong></p>
<p><strong><span style="font-family: Century;"> </span></strong></p>
<p align="right"><strong>信徒Ｆ</strong></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://oikoschurch.net/blog/testimony2015/1145/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>　3月の証(あかし)～M.Kさん～</title>
		<link>http://oikoschurch.net/blog/testimony2015/1133</link>
		<comments>http://oikoschurch.net/blog/testimony2015/1133#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 23 Feb 2015 02:26:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator>oikos</dc:creator>
				<category><![CDATA[証(あかし)2015]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://oikoschurch.net/?p=1133</guid>
		<description><![CDATA[  私は人との関係で困難を感じるとき、その原因が「自分の考え方が正しい」「自分の思い通りに物事を進めたい」という自分中心の考え方からきている時があります。以前はそのことに気づいても「私は悪くない」と思い続けていました。で [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><span style="font-size: x-small;">   私は人との関係で困難を感じるとき、その原因が「自分の考え方が正しい」「自分の思い通りに物事を進めたい」という自分中心の考え方からきている時があります。以前はそのことに気づいても「私は悪くない」と思い続けていました。でも自分が正しいと思えればそのことが平気になるはずなのに、いつも晴れない心を引きずっていました。</span></p>
<p><span style="font-size: x-small;"> でも私の中に、相手を愛して仕える心がなかったことを認めて、神様に「愛する愛をください」と祈るようになったとき、相手を赦し、祝福する思いに変えられました。また、私が思い通りにコントロールしたいことも「最善を知っておられる神様に信頼して、このことを委ねます」と祈るとき、心が楽になりました。このように祈るようになって、以前よりも素直に謝れたり、人を赦せるようになってきました。</span></p>
<p><span style="font-size: x-small;"> 自分が間違っていたこと、失敗したこと、人を傷つけていたこと、人のためのふりをして実は自分のためにしていたこと…を認めることは最初はなかなかできませんでした。</span></p>
<p><span style="font-size: x-small;"> でも教会で神様の愛や罪の赦しについて繰り返し学びました。神の子であるイエス様が私の罪の身代わりに十字架にかかって苦しんで死んでくださったこと。復活してすべての罪に勝利してくださったこと。そのことを信じ、イエス様が私の救い主だと告白したことで、私の罪が赦され、天国に国籍ができたということです。</span></p>
<p><span style="font-size: x-small;"> まず私が愛されていること、赦されていることを思い出す時、神様の愛に応えて、自分のプライドが満足するかではなくて、私も少しでも人を愛して赦す人間になりたいと思えるようになりました。</span></p>
<p><span style="font-size: x-small;"> 聖書は私たちに、神様がどれほど私たちを愛しておられるか、また私たちが神様を愛し信頼する人生がどれほど幸せかを教えてくれます。人との関係でもお互いを愛し尊敬しあい、上に立つ人に従うことの大切さを教えています。それは私の重荷をおろし、この人生で祝福を受けるための秘訣でもあることを知りました。</span></p>
<p><span style="font-size: x-small;"> 今でも自分の非をすぐには認められない時があります。神様の計画が一番だと分かっていても、なかなか自分の考え方ややり方を変えられないこともあります。でもイエス様の愛に応えて、神様と人を愛せるようになりたいと思います。</span></p>
<p><span style="font-size: x-small;"><strong>そこでイエスは彼に言われた。「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」これが大切な第一の戒めです。「あなたの隣人もあなた自身のように愛せよ。」という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。</strong></span></p>
<p><span style="font-size: x-small;"><strong>マタイの福音書<span style="font-family: Century;">22</span></strong><strong>章<span style="font-family: Century;">37</span></strong><strong>～<span style="font-family: Century;">39</span></strong><strong>節</strong></span></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://oikoschurch.net/blog/testimony2015/1133/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
	</channel>
</rss>
