3月の証(あかし)

◎神様の備えを体験した証

私たち夫婦は、夫が仕事をしながら、私たちの教会の牧師のご指導を受けながら、信徒で開拓伝道を始めました。そのうちに、伝道師、牧師へと歩みました。夫は神様大好きで一途なリーダーでした。その夫は、いつも周りの牧師先生方や私たちの教会、他教会とのやりとり、コンタクトを私にばかりさせるので、私は不満を持っていました。時々私は「私ばかり連絡したり、連絡を受けたり。自分でもしてほしい」とつぶやいていました。

今、開拓から25年ほどになりまして、神様の深い備えを覚えています。夫は4年前に天に帰りました。私がバトンを受け取り歩んでいます。たくさんのクリスチャンや牧師先生たちに助けられ、神の家族の交わりを持たせていただいています。皆さんに感謝しています。

もし、夫が何でも自分で周りとやりとりをしていましたら、私は今のような牧師先生たちとの集まりは億劫であり、苦痛であり、孤立していたかもしれません。牧師先生たちに愛情深さもあるからですが、家族のように集い、話し、祈りあえています。

また、夫がいつも国内外の集会や学びに私を連れて行ってくれたことも、今のための備えであったと覚えます。その時は、恥ずかしいくらいに理解できなかったり、不平不満を覚えることでさえ、神様は先の備えとして用いて下さるお方であることに感謝します。また、人知を越えた備えを賛美します。

まさしく、聖書に書いてあるとおりです。『目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神が備えてくださったものは、みなそうである。」コリント人への手紙第一2章9節