4月の証(あかし)

◎神様に励まされた証

私は、洗礼から29年のクリスチャンです。受難週に向かうシーズンに自分の歩みを思っていました。人々の救いを思いながら「私は何をしているのか」という思いが来ました。

私はキリスト教系の職場で4年間働きました。週3回の朝礼では、讃美歌や聖書のお話を聞いていました。クリスチャンや牧師先生との関わりもありました。その4年では、これだけ聞いても触れても「イエス様」「十字架」を意識したことはありませんでした。

その後、クリスチャンの夫と出会い、試練を通して信仰を持ちました。それを思い出しながら、キリスト教系職場の4年間の多くの方々の祈りや宣教は一つも無駄ではなく、それが後に実を結んだことを改めて受け取りました。

特別なことが起きない日々の祈りや宣教も、虚しく思えても尊いことを思いました。聖書を思い起こしました。

善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。」ガラテヤ人への手紙6章9節

みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」テモテへの手紙第二4章2節

私たちの日々は、尊く、無駄な日はないことを覚えて、改めて生かされている意味に励まされました。