聖書と映画~ロードトゥパーディション~

「聖書と映画 ~ロードトゥパーディション~ 」

 数年前に「ロードトゥパーディション」という映画が上映されました。トムハンクス扮する主人公は一見善良なサラリーマン父親ですが、実はマフィアの幹部で、自分の職業を息子達に秘密にしていました。反抗期に入っている長男は、弟が自分より可愛がられていることに不満をずっと抱き続けてきており、長男と主人公の関係はしっくりいっていません。ある時、主人公が拳銃を懐に忍ばせようとしている姿を長男は偶然に目撃してしまいます。興味を持った長男は、主人公の車のボンネットに隠れてこっそり付いていくのです。そして、そこで殺人の現場を目撃してしまいます。口封じの為に、次男と妻は組織から暗殺されますが、主人公と長男はかろうじて脱出します。そして、2人の逃避行が始まっていくのです。組織の追っ手から拳銃で撃たれて気を失った主人公を長男は何とか助けようとして、ある農家に助けを求めて行きます。長男の夜を徹した看病により、主人公は奇跡的に回復します。2人は、そこで初めて親子として向き合い、本音で会話をはじめます。主人公は、「おまえは俺とそっくりなんだ。できれば俺に似て欲しくなかった・・・。」と、長男の人格を認め、本音で告白するのです。長男は、理解できなかった厳しい父親が、自分と同じように悩みを抱えた同じ人間であり、家族を誰よりも愛してくれていること、そして、その為に、命がけで自分を守ろうとしてくれていることを感じ取るのです。
 パウロはコリントの教会に「私たちに対して開いてください。(Ⅱコリント7:2)」と勧めました。開かれた心での本音の告白は和解を生み出す強力な武器です。告白の力は、何も映画の話だけではありません。真実で本音の告白によるお交わりには、人と人、さらには人と神様との距離をグンと近づける大きな力があります。もし、私たちの教会において、人間関係が表面的ならセル活動における「癒し癒される関係」は深まりません。開かれた心による真実で本音のお交わりは、「癒し癒される喜びの人間関係」実現の為になくてはならないものと私は考えています。