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◎神様によって心が変えられた2人の証

1.

私は職場で関わるのが苦痛な方がいました。でもその苦しみがきっかけで教会に行くようになり、イエス様の救いを受けることができました。

また、私の心が変えられて、今はその方へのあわれみが生まれました。悪いことを良いことに用いられる神様をほめたたえます。

ローマ人への手紙12章17~18節「だれに対しても悪を持って悪に報いず、すべての人に対して善を図りなさい。あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。

 

2.

私は人からの言葉に反応してネガティブになる傾向があります。

ある時、牧師から「自分の意識・無意識に血潮の宣言をするといいよ」とアドバイスをもらい、「イエスの血潮を宣言する祈り」を始めました。

すると私の心が変えられていき、特に父に対しての感謝がわいてきました。「私はもう持っていたんだ」と、与えられている恵みに気づかされました。感謝します。

◎御言葉を体験した証

私はピアノ講師をしていますが、以前、生徒さんでやめてしまった子がいて、自分もその子に期待しすぎて追い込んでしまったと悔やんでいました。

いつかまたピアノを習ってくれたら、できるなら戻ってきてくれたらと祈っていたら、その子の兄妹が体験レッスンに来てくれることになりました!

だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。(マルコの福音書11章24節)」のように、疑ったり不安な思いがよぎっていた時、祈ったことはもう叶ったものと信じる思いをずっと握っている自分がいることに気づきました。

これまでの経験則や、自分の思いや勘だけで限界を決めたりして、神様のことを信じ切っていないことを悔い改めました。

祈った結果、そのあとのことは気にはなるけど、あとは神様の方法で任せて神様に期待していくことで、少なくとも今までとは違った景色を神様が見せてくださるし、そこで神様からたくさんの恵みに気づかせてくださることを受け取りました。

そして体験レッスンに来てくれた兄妹は私の生徒さんになりました。

 ◎神様に導かれた証

離れて住む母は認知症がありますが、一人きりで過ごすことが多く、人と関われるよう祈っていました。

母のような人が利用できる施設の一覧表をもらいましたが、多すぎて選べずにいました。

ある時、母の住む市の職員から連絡があり、母が近所のデイサービス施設に迷い込み、保護されたとのことでした。

なんとその施設は以前オイコスチャーチだった家をリフォームした建物で、とても良い雰囲気でした。母は喜んでその施設に通うようになりました。

母が一人で出かけたと知った時は冷や汗ものでしたが、神様が母を守ってくれていること、母自身が自分で良い施設を見つけたこと、それが元オイコスチャーチだったこと、ちょうど母が利用できる空きがあったこと…恐ろしいほどに備えられ、守られ、祝福される神様をほめたたえました。

(創世記22章14章)

そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名付けた。今日でも、「主の山には備えがある」と言い伝えられている。

(詩編121編7~8節)

主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、

あなたのいのちを守られる。

主は、あなたを。行くにも帰るにも、

今よりとこしえまでも守られる。

◎御言葉に従って、変えられた証

 

私は苦手な上司がいましたが、ある時からその上司を赦す祈りをし始めました。

顔を合わせるのも嫌でしたが、赦しの一つとして、その上司をねぎらう会にも出席しました。

そうこうしているうちに、私の中にその上司の立場の大変さを理解する心が生まれてきました。

やがて上司の私への接し方が変わっていき、一年かけて、今では良い関係ができました。

マタイの福音書22章37~39節

「そこで、イエスは彼に言われた。『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。」

ドージャー

神様が心を回復させてくださった証

最近、知り合いの人が手術をすることになり、時を逃さないようにしようと思って、励ましのプレゼントを送ることにしました。手作りのお菓子も送ったのですが、台風の影響で届くのが遅れるかもしれないとのことでした。お菓子が腐ったらどうしようとか、気を使う思いや、心配する思いがありました。

そんな中、第二サムエル記7章を読みました。ダビデが神様のために家を建てようとしたら、神様がダビデのために家を建てると言ってくれたところで、ダビデは神様のために家を建てようと思っただけで、後で準備はするけど、その時は何もしていないのですが、何かやったとか、結果を出したとかでなくても、神様のために何かしようと思っただけで、神様はダビデのために家を建てると言ってくださったことを深く受け取りました。

「神様のためになにかしたいと思った。神様に心を向けるだけで、それで良い」といわれた感じがして、心の重荷がとれて、神様に委ねることができ、御心を行ったという平安と確信がきました。

そしてお菓子も遅れることなく無事に届いて、喜んでもらうことができ、神様の愛を感じてもらえました。

最近信仰がダウンしていて「神様のことをするのに疲れてしまいました」と本音で祈ったのですが、神様は私に愛を注いでくださり、このことを通して神様に仕える喜びを回復させてくださいました。

詩編41:1「幸いなことよ。弱っているものに心を配る人は。主はわざわいの日にその人を助け出される。

マタイの福音書25:40「そこで、王は答える。『はっきり言っておく。私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。

◎神様がチャンスをくださった証

最近、5分でも良いからまわりの人の救いのために集中して祈ろうと、祈る時間をもつようになりました。職場の仲が良い人に、「自分がクリスチャンであることを言いたいです」と神様に祈っていました。 それから数日後、その職場の人から「昨日はお休みだったの?家にいたの?」と聞かれて、自分がクリスチャンで教会に行っていることや、神様の話を少しすることができました。 出会って2年くらい自分がクリスチャンであることを言うチャンスがなかったのですが、御心に叶った祈りは聞かれるんだと実感した出来事でした。 「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です」Ⅰヨハネ5:14

 

◎神様がチャンスをくださった証

ある日の午前、教会に人が来られて、牧師がその方に神様や聖書の話をされていました。私もそこにいたので自分が体験した神様のすばらしさを話せました。午後からは家に仕事で人が来られ、次回の打ち合わせの日を決める時、私がクリスチャンで日曜は礼拝に行っていることを話せて、トラクト(聖書のことが書かれた小冊子)を渡すこともできました。神様が下さった出会いや神様のことを語るチャンスが与えられて感謝しました。

◎神様を体験した証

暑さ厳しい中、子どもの体育祭がありました。学校に車で行くのは禁止で、結構遠い学校なので、歩きや自転車で行くのは辛いなと困っていました。

でもふと、学校と、その日私が健診を受ける会場が近いことに気づきました。その健診はもともと数か月前に受けるはずでしたが、大雨などで2回も延期になり、体育祭と同じ日に変更されていたのでした。

健診が何度も延期になった時は「なんで!?」と思いましたが「神様が私のために健診の日をずらして駐車場を用意してくださっていたんだ!」と感動しました。健診会場に車をとめ、少し体育祭を見て、健診を受け、健診の結果も異状なしで、すべてに感謝でした。

神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」伝道者の書3:11

わたし(神)の思いは、あなたがたの思いと異なり、あなたがたの道は、わたし(神)の道と異なるからだ。」イザヤ書55章8節

◎神様を体験した証

私は3年ほど、祈れない時期がありました。祈ってくださいと言われたことは祈れても、個人的に神様に祈れませんでした。

それでも毎日「主の祈り」だけは祈っていました。

今振り返ると、それがあったから当時の私が支え守られ、信仰から離れなかったんだと思いました。

感謝します。

 

主の祈り

天にまします我らの父よ

ねがわくは御名をあがめさせたまえ

御国を来たらせたまえ

御心の天になるごとく 地にもなさせたまえ

我らの日用の糧を 今日も与えたまえ

我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく

我らの罪をもゆるしたまえ

我らをこころみにあわせず 悪より救いだしたまえ

国とちからと栄とは 限りなくなんじのものなればなり

アーメン

毎週火曜の6:30~7:00は早天礼拝です。

毎週水曜の20:00~21:00はPOB(パワーオブバイブル:聖書の学び)です。10月2日(水)は休会です。

毎週金曜の19:00~21:00は金曜祈祷会です。月に一回、この時間にハイナイト(イスラエルの学びと祈祷会)があります。

10月6日(日)10:30~12:00 主日礼拝、聖餐式、お誕生月(10月生まれ)祝福祈祷

10月13日(日)10:30~12:00 主日礼拝

10月20日(日)10:30~12:00 主日礼拝

10月22日(火)10:00~12:00 ディボーションセル(御言葉の分かち合いと祈祷会)

10月27日(日)10:30~12:00 献堂16周年記念礼拝 講師:廣田勝正牧師(グレイスチャペル大分)

10月27日(日)14:00~15:00 記念集会 講師:同上 ※初めての方にもわかりやすい内容です。

10月29日(火)10:00~12:00 ディボーションセル(御言葉の分かち合いと祈祷会)

◎今月はオイコスチャーチと親交のある青年(台湾に留学中)の証です。

###異文化との出会い、信仰の再確認
 留学のため台湾に到着してすぐに感じたのは、この国の宗教的多様性と寛容さでした。

道教や仏教の寺院が日常の風景に溶け込んでおり、

地元の人々が信仰を大切にしながらも他社の信仰を尊重する姿に触れることで、

私は自分の信仰を改めて見つめ直す機会を得ました。

台湾の宗教行事や慣習に参加する中で、クリスチャンとしての自分の信仰が

異文化の中でどのように意味を持ち続けるのかを考える時間が増えました。

###現地のクリスチャン・コミュニティとの出会い
 台湾では、私が心の拠り所とするクリスチャン・コミュニティを見つけることができました。

週末の礼拝に参加することで、同じ信仰を持つ仲間と出会い、

お互いの信仰を励ましあうことができました。

異国の地で生活する中で、こうしたコミュニティは私にとって大きな支えとなり、

神の導きと守りを日々感じることができました。ある友達は日本の家にも遊びに来ました。
###学業と信仰の両立
 留学中、学業や研究に追われる日々が続きましたが、私は信仰を通じて心の平安を保ちました。

私が困難に直面した時や疲れ果てた時に、聖霊の導きにより神様の力を思い起こさせてくれました。

また、台湾での学びと信仰を結びつけることで、新しい視点や洞察を得ることができました。

信仰を持って学びに取り組むことで、私の学問的追及もまた深まったのです。

###み言葉を通して信仰と恵みの成長
 台湾での生活を通じて、私は信仰に対するチャレンジにも直面しました。

しかし、それらの経験は私の信仰を一層強くするきっかけとなりました。

異文化の中で神の存在を感じ、信仰を実践し続けることで、

私は自分自身の信仰がますます深まっていくのを感じました。

神の導きと恵みを信じ、どのような状況でも感謝の心を持つことの大切さを学びました。

###結びに
 台湾での留学は、私にとって信仰を再確認し、深めるための貴重な経験です。

また異文化の中でのいろんな試練も受けますが、聖書の言葉に導かれています。

(コリントの信徒への手紙第一10章13節)
 あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。

 神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような

 試練に会わせるようなことはなさいません。

 むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。

 台湾の日常生活は自炊ができずに大変です。食事はすべて外食です。

台湾に行った当時は、物価も安く日本の半額でしたが、

いまは円安でしかも物価が日本の倍以上です。アルバイトをして何とか頑張っています。

 色んな試練や新しい出会いを通じて、クリスチャンとしての私の信仰は一層強められ、

人生に対する見方も広がり、神様の導きを経験することにより、

これからの私の信仰生活に大きな影響を与え続けることを確信しています。