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◎神様を体験した証

私は5月に母を亡くし、落ち込みや思い煩いから抜け出せずにいました。

しかし6月に「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。(マタイ6:34)」のみことばを受け取りました。

その時、私を思い煩わせ、生きる力を失わせ、起き上がらせないようにする敵の策略が分かり、その思いを断ち切る決断をしました。

その後、心が元気になりました。 ドージャー

 

◎神様を体験した証

私は家族、親族で唯一のクリスチャンとして、仏教式の葬儀に出席し、最後の挨拶をすることになりました。

葬儀の時から「…神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。(Ⅰコリント10:13)」の御言葉で力を得て、最後の挨拶をすることができました。 ドージャー

 

◎神様を体験した証

病院でもらった薬を飲んでから出かけることになりました。その薬には、車の運転を控えてください、という注意書きがあったので渋々自転車で出かけました。すると家を出たところで、会いたかった近所の方がちょうど出かけるところだったので、自転車を押しながらその方と話すことができました。自分の思い通り(車での外出)にできたら出会えなかった人と出会わせてくださった神様の導きを感じました。 mm

◎癒された証

夫の足をマッサージしているとき、私の右手の親指の付け根が痛くなりました。その時、オリーブ油を塗り「イエスの名で癒されよ」と言いました。すると即座に痛みが消えました。

ヤコブへの手紙5章14節「あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。」

 

◎癒された証

右足の脛が痛くなりましたが、イエスの名で祈ると、いつの間にか痛みがなくなり、今は全く痛みがありません。

 

◎癒された証

ある方の癒しを祈っている中で、私の子ども(10年来二つの病院で治療中)も癒される確信が強められました。それから1か月した頃、1つ目の病院で、このまま調子がよければ薬をやめようと言われ、もう一つの病院でも、3種類もらっていた薬が一つ減りました。祈っている方も子どもも、必ず癒されると信じて祈ります。

◎癒された証

Iさんのアレルギー性鼻炎が癒された証(2013.12掲載)を知り、同じ症状の私も「Iさんの神は私の神だ、私も癒されないわけがない」と祈り始めると、少しずつ癒されてきました。一昨年より去年、去年より今年と症状が改善され、ほぼ一年中飲んでいたアレルギーの薬は、今年はまだ2回位しか飲んでいません。ハレルヤ!

◎神様を体験した証

数年前に引っ越しをしました。引っ越した先は坂の途中にあり、坂の上の隣家からは我が家の中が丸見えでした。カーテンはしても気になり、かといって塀を建てるには大金がいるし、「神様、何とかしてください」と祈っていました。するといつの間にか、庭に誰も植えていない木が何本も並んで生えてきました。それが年々育って、ちょうど隣家との目隠しになってきました。思いがけない方法で神様が必要を与えてくださり、感謝しています。

◎神様を体験した証

腕時計をなくして1週間くらい祈りつつ探しながら過ごしました。でもどうしても見つからず不便なので「明日、腕時計を買おう」と思いました。その日の夜、夢に1週間前の場面が出てきて、あるカバンの中に腕時計が見えました。朝起きてそのカバンをよく探すと、腕時計がありました。

◎神様を体験した証

職場で、神様のことを伝えていた方が、知らない間におられなくなりました。私はその方に何もできなかったと少し落ち込みました。するとバッタリその方と会い、挨拶できなかったけど同じ職場の系列内で異動になったこと、またこれからも会えることが分かりました。不思議なタイミングで再会させてくださった神様に感謝し、この方との関係を大切にしたいと思いました。

 

◎癒された証

朝、手をムカデにかまれ、腫れとしびれと痛みがありました。病院に行こうか迷いましたが、その時、癒しを祈っている方の治療の準備が無事に進んだと知り、私も癒されると信じて、教会に祈りに行きました。祈っていると痛みとしびれが軽くなり、指も動かせるようになりました。その夜、逃げられたムカデを見つけてやっつけました。翌日には腫れも引き、神様の癒しに感謝しました。

 

◎神様を体験した証

ある人に対して腹を立てました。でもその人のことを赦す宣言をしながら祈る中で、私自身の中に「どういうきっかけであれ、人を告発して自分は正しいと思いたい」という欲が隠れていることを、神様が教えてくれました。またその人を、かつて自分を傷つけた人と重ねて腹を立てていたことにも気づかされました。神様の慰めを受け、示されたことを悔い改めて、すべてを主に委ねた時、心が平安に変えられました。

春になるとイースターという言葉を聞くようになりましたね。

イースターは復活祭といいます。復活祭というのはイエス・キリストが私たちの罪の身代わりに十字架にかかって死に、3日目に復活されたことを表します。

それによって、イエス・キリストを自分の罪からの救い主と信じたら救われて天国に行ける、という素晴らしい恵みに感謝する日です。

暦の関係で、毎年復活祭(イースター)の日にちが変わります。

今年は4月4日(日)復活祭で、教会でもお祝いの礼拝をします!

復活までの日にちを、イエス様の歩みからたどっていくと

3月28日 棕櫚(しゅろ)の主日…イエス様がエルサレムに入場され、人々が棕櫚の葉を地面に敷いてお迎えした日

4月1日 洗足日(せんそくび)…イエス様が弟子たちの足を洗い、お互いに愛し仕え合うことを身をもって教えられた日

4月2日 受難(じゅなんび)…イエス様が十字架にかけられた日

4月4日 ースター…イエス様が復活された日

※イエス様の復活までの出来事はすべて聖書に書かれています。教会では無料で新約聖書を配布していますので、読んでみたい方はぜひお問い合わせください!

◎神様を体験した証

夫婦で旅行をしたとき、全くレンタカーが見つからず、移動できず、あきらめそうになりました。でもあきらめなかった妻がレンタカー屋を見つけて尋ねたら「ちょうど今車が1台帰ってきたところです!」と言われて、車でいい旅行ができました。私は元々「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。(マタイの福音書7章7節)」が好きなのですが、この聖書のことばを実際に体験しました。イエス様が言われたことばには力があると信じます。

 

◎神様を体験した証

ご飯を食べに行くときは、そのお店に祝福があるように祈ります。最近、食事時ではない時間帯で、お店に入った時にはほとんどお客さんがいなくても、私達が入った後からお客さんがぞろぞろ入ってくることがよくあります。神様が、祈っているお店を祝福してくださっていると思います。

 

◎癒された証

かきむしった皮膚がジュクジュクになっているのに無意識に触ってしまい、なかなか治りませんでした。痛くて不便で困っていましたが、イエス様に祈ったら、その日の夜には薄い皮膚ができて、次の日には治りました。

オイコスチャーチは、インバシオン・ジャパンという活動をする一教会です。

インバシオンとは?…すべての人が神様に愛されていること、すべての解決の道が神様にあることを体験してもらえるように、愛をもって祈り、神様の愛を伝えるクリスチャンの働きです。

インバシオン・ジャパンの紹介YouTube動画→こちら

インバシオン・ジャパンの公式Facebook→こちら

祈りのリクエスト(あなたの願い)をお送りください→こちら

(※お送りいただいた祈りのリクエストの内容・個人情報は教会で管理し守ります)

永遠に変わらない神様に愛されている喜びをぜひ体験してください!

 

◎神様を体験した証

家族が体調を崩し、通院や看病で疲れていた時、ずっと前に応募した懸賞が当たって、食材などが送られました。教会の人たちが我が家のために祈ってくれた祈りが天に届いて、一番しんどい時に、神さまが助けを送ってくれました。

 

◎癒された証

おなかの左側がとても痛くなりました。イエス様癒してくださいと祈ったら、すぐに痛みが消えました。

 

◎神様を体験した証

会計の仕事で、何回計算しても帳簿と残金が合わなくて数日悩んでいました。ふと11月のホームページに、祈って鍵が見つかった証があったことを思い出しました。それで神様に「どこがおかしいか教えて下さい」と祈って、もう一度通帳を開いたら、ある数字がパッと目にとまって、その数字を私が書き間違えていたことが分かりました。

皆さまいかがお過ごしでしょうか。昨年は大変な一年となりました。2021年、皆さまに平和があるようにお祈りします。

今年のオイコスチャーチの目標は

日々、みことばによって生き、宣教に一歩踏み出そう」(詩編1:1~3、マタイ28:18~20)です。

今年もどうぞよろしくお願いします。

先日教会に行って、聖書のピリピ人への手紙4章を読んでから、神さまにお祈りをしました。

初めはお祈りの中で、自分が味わっている苦労を神様に伝え続けていました。

でも十字架を見上げたとき、自分を苦しめた人のことより、自分の罪深さが見えてきました。人と自分のことではなく、神様と自分のことに心の向きが変えられました。

でも神さまは、そんな私を幼児のように抱いてくださり、それだけでなく、私を神様の働きのために用いたい、と語られました。

そして神様の臨在が私に深く臨み、しばらく動けませんでした。それはイエス様にハグされているような、神さまの愛で包まれるような温かなものでした。

神様の臨在の中で、自分自身を縛っていた、私の中の罪や咎(とが)や傷が溶けていきました。神様に感謝します。