証(あかし)2024

◎今月はオイコスチャーチと親交のある青年(台湾に留学中)の証です。

###異文化との出会い、信仰の再確認
 留学のため台湾に到着してすぐに感じたのは、この国の宗教的多様性と寛容さでした。

道教や仏教の寺院が日常の風景に溶け込んでおり、

地元の人々が信仰を大切にしながらも他社の信仰を尊重する姿に触れることで、

私は自分の信仰を改めて見つめ直す機会を得ました。

台湾の宗教行事や慣習に参加する中で、クリスチャンとしての自分の信仰が

異文化の中でどのように意味を持ち続けるのかを考える時間が増えました。

###現地のクリスチャン・コミュニティとの出会い
 台湾では、私が心の拠り所とするクリスチャン・コミュニティを見つけることができました。

週末の礼拝に参加することで、同じ信仰を持つ仲間と出会い、

お互いの信仰を励ましあうことができました。

異国の地で生活する中で、こうしたコミュニティは私にとって大きな支えとなり、

神の導きと守りを日々感じることができました。ある友達は日本の家にも遊びに来ました。
###学業と信仰の両立
 留学中、学業や研究に追われる日々が続きましたが、私は信仰を通じて心の平安を保ちました。

私が困難に直面した時や疲れ果てた時に、聖霊の導きにより神様の力を思い起こさせてくれました。

また、台湾での学びと信仰を結びつけることで、新しい視点や洞察を得ることができました。

信仰を持って学びに取り組むことで、私の学問的追及もまた深まったのです。

###み言葉を通して信仰と恵みの成長
 台湾での生活を通じて、私は信仰に対するチャレンジにも直面しました。

しかし、それらの経験は私の信仰を一層強くするきっかけとなりました。

異文化の中で神の存在を感じ、信仰を実践し続けることで、

私は自分自身の信仰がますます深まっていくのを感じました。

神の導きと恵みを信じ、どのような状況でも感謝の心を持つことの大切さを学びました。

###結びに
 台湾での留学は、私にとって信仰を再確認し、深めるための貴重な経験です。

また異文化の中でのいろんな試練も受けますが、聖書の言葉に導かれています。

(コリントの信徒への手紙第一10章13節)
 あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。

 神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような

 試練に会わせるようなことはなさいません。

 むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。

 台湾の日常生活は自炊ができずに大変です。食事はすべて外食です。

台湾に行った当時は、物価も安く日本の半額でしたが、

いまは円安でしかも物価が日本の倍以上です。アルバイトをして何とか頑張っています。

 色んな試練や新しい出会いを通じて、クリスチャンとしての私の信仰は一層強められ、

人生に対する見方も広がり、神様の導きを経験することにより、

これからの私の信仰生活に大きな影響を与え続けることを確信しています。

◎神様の恵みを体験した証

最近、母が耐えられないくらいお腹が痛いと、手術となり、癌が見つかりました。

母が入院している間、神様に母を取らないでくださいと泣きながら祈りました。

そしたら聖書に、「わが民の君主ヒゼキヤのもとに戻って言いなさい。『あなたの父祖ダビデの神、主はこう言われる。わたしはあなたの祈りを聞き、涙を見た。見よ、わたしはあなたをいやし、三日目にあなたは主の神殿に上れるだろう。わたしはあなたの寿命を十五年延ばし、アッシリアの王の手からあなたとこの都を救い出す。わたしはわたし自身のために、わが僕ダビデのために、この都を守り抜く。』(列王記下20:5-6)

死ぬことなく、生きながらえて主の御業を語り伝えよう。」(詩編118:17)と書いてあり、なんてタイムリーなみことばだとうかと思い、毎日宣言して祈りました。

でも、他にも病変が見つかったり、恐れにとらわれてしまって、神様はとる時にはとるんだという思いになってしまいましたが、「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」(マタイの福音書7:7)のみことばと、「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」(ローマ人への手紙8:32)のみことばが与えられました。

そして、「主に信頼し、善を行え。この地に住み着き、信仰を糧とせよ。」(詩編37:3)のみことばを通して、「大丈夫だから善を行え」と神様に言われたように思いました。不安でいっぱいでしたが、みことばに従って職場の人に親切にしていたら、クリスチャンに良い印象をもってもらえて、福音を語れるチャンスをくださいとずっと祈っていましたが、福音を語ることができました。

そして母も手術をして、病変は全部ポリープだったということで、無事退院しました。みことばが真実であったと思いました。

人生で1番苦しかったですが、母の入院を通して1番難しいと思っていた祈りが一回できかれ、家族に奇跡がおきました。

限界だと思った時は、近所のクリスチャンの親戚の方々がたびたび料理をもってきてくれたり、色々なクリスチャンの方が祈ってくれて、励ましのメッセージやプレゼントや献金までくださって、手術代や入院代も十分必要が満たされ、人を通して神様の助けや愛を感じました。

色々大変なことはあったのですが、神様は試練の中で一回一回脱出の道を与えてくださり、神様のタイミングの素晴らしさも感じました。

後で聞いた話なのですが、母がお腹が痛くて倒れた時に、家族のことはあとは神様に任せるだけだというすごい解放感と喜びがあったそうです。

苦難の中で神様が働いてくださったと思い、感謝します。

どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である。」(詩編62;8)

思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。」(ペテロの手紙第一5:7)

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ人への手紙8:28)

 

◎神様の恵みを体験した証

私は東北出身ですが、仕事の関係で、単身、全く知り合いのいない福岡県に来ることになりました。しかしそこで、職場の方の娘さんを紹介されました。その女性はクリスチャンで、その信仰のパワーに押され、やがて私もイエス様と出会い、救われ、その女性と結婚しました。その時にはわからなくても、後から分かる主の恵み、主の導きがあることを体験しました。

 

◎神様に気づかせてもらった証

私は生まれ育つ中で辛い思い出が多く、ここに生まれてはいけなかったような気がして、ずっと地元を好きになれませんでした。救われてからも、神様が私をあの地に、あの家に置かれたことを良いこととして受け取れませんでした。しかし先日、実家に泊まる機会があり、朝、窓を開けたとき、とても空気が気持ちよく、目の前の自然や緑を美しく感じました。そして、神様はずっと前から私に、この自然の美しさや気持ち良い風を与えてくれていたこと、神様は良いものを与えてくれているのに私は気づいていなかったんだ、と気づきました。そして神様が私をこの地に置かれた意味があることも受け取れました。

◎神様を体験した証

仏教徒だった高齢の祖母と、会うたびに祈るようになり、耳があまり聞こえなくなっても、毎回詩編を読むようにもなりました。亡くなる前、祖母に「イエス様を信じるなら手を握り返して」と言ったら、手を握り返してくれました。それまで蒔かれていた種(みことばの種)が芽を出した経験でした。

 

◎心が解放された証

自分がやっていることがなかなか実を結ばず、心が空しさや孤独な思いにとらわれていました。家庭集会で牧師や教会の方に祈ってもらうと、その思いから解放され、もう一度希望を持てるようになりました。

 

◎神様による問題解決の証

1年以上、家にある問題があり、「そのうち何とかなるだろう」と放っていましたが、何とかしないといけない状況になりました。それで、これからやり取りするすべての人をイエスの名で祝福し、神様の方法で解決すると先取りの感謝をしました。するとあっという間に話が進んで、2日でその問題が解決しました。

◎神様の導きに従った証

私は交代制の仕事をしています。スタッフの中に、私にきつく当たってくる人がいて、苦手であまり関わりたくありません。ある日、私の後にその苦手な人が入るシフトになっていました。嫌だなと思って祈っていると、神様から「その人が仕事をしやすいように、あなたが準備を整えて交代し、会ったら感謝を持ってあいさつしなさい」と語られました。本当なら、その人が仕事終わりの私にあいさつするべきなのに、嫌だな、と思いました。でもへりくだって一つ一つ準備し、交代の時は私からあいさつをしました。その人はいつものようにきつく当たってくることがなく、平和に仕事を終えることができました。

 

◎神様に守られた証

家族が、ある集まりに行けず不安で寂しそうで、少しかわいそうでした。牧師にその話をしたら、「行けなかったのは本人にとっては悪いことだけど、それは罪から守ることになっていたよ」と教えてくれ、本当にそうでした。家族が気づかず罪を犯すことから守られていたことを神様に感謝しました。また、私も気づかずにたくさん守られているんだろうなと思い、感謝しました。

 

◎神様を体験した証

あることをしようと思いつき、それに必要なものを探しましたが見つかりませんでした。でも祈ったら、すぐ見つかりました。

◎神様に示された証

仕事で生徒が聞いても聞かなくても、繰り返し伝える必要性を感じています。そして伝道もそうだと思いました。相手が受け取るかはわかりませんが、言わないことは罪だと思いました。相手が受け取れないかも…と思って伝道しないのではなく、伝えるべきことは伝えて、あとは主にゆだねることを示されました。様々な機会に家族に伝えるようになりました。

 

◎神様が助けてくださる証

仕事中、たくさんの業務が一気に来ることがあり、任せられる業務が人によって違うのでどうしようかと思うことがあります。常日頃から神様に助けてくださいと祈っていて、忙しい時や不安な時は特に祈ります。すると、必要な人に仕事を振れる状況になったり、お願いしたら丁度その人が大丈夫だったり、相手からやるよと言ってくれたりして、仕事を振れることよくあります。

 

◎神様とトライしている証

祈っていたり、演奏したり、聖書通読をしているとき、何かうまくいくイメージが来ることがあり、やってみようという思いになり、やってみます。イメージ通りになることもあり、うまくいかないこともあります。もしうまくいかなくても、そもそも神様がイメージを下されなければ、やってみることもなかったので、思いを下さる神様に感謝します。

◎神様を体験した証

夜間も仕事のある職場ですが、ある時、他の職員が「大変なことが今夜あるかもしれないよ」と言ってきました。私はその時「大丈夫、イエスの名で、今夜私にその仕事は来ないと宣言します!」と言いました。周りの人は私をからかう雰囲気でしたが、その夜、本当に仕事は来ませんでした。主の御名をほめたたえます。

 

◎神様が心を変えてくれた証

友人の癒しを祈っていますが、いつも不安がありました。牧師から「思うたびに異言で祈りなさい」と助言をもらい、やってみると、否定的な思いが無くなり不安が消えました。

 

◎神様が視点を変えてくれた証

父の問題ばかりが目に付いて、関わるのが嫌だなと思っていました。しかし神様が、父の良いところを思い出させてくれ、感謝し尊敬する思いが生まれました。でも相変わらず問題が続き、困ったなと思っていたある時、神様から「贈り物を持って父に感謝を伝えなさい」と語られました。その瞬間、心に喜びが来て、父の問題ではなく、何を贈ろうかというワクワクに思いが変えられました。実際に贈り物をしても父の反応はいまいちで、状況も変わっていませんが、平安です。これから主にあって問題も解決すると信じます。

◎神様を体験した証

仕事中に起きたトラブルに対応することになりました。その時、神様から「落ち着きなさい」と語られ、心が守られ、一つ一つのことを落ち着いてすることができました。以前の私なら、自分がどう思われるかを考えたり、焦ってあわてていたと思います。箴言4章23節「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。

◎癒された証

夜に目がチクチク痛み、鏡を見ると左目の下半分が赤く腫れていました。明日眼科に行こうかと調べたりしましたが、祈ろうと思い「私の左目よ。イエスの名で癒されよ」と命じ、癒しを宣言して寝ました。夜中に起きた時には痛みがなくなり、翌朝には治っていました。

◎解放された証

私は長年、自分の間違いや失敗を責めるくせがあり、人を責める思いにも繰り返しにとらわれ、祈ってもなかなか抜け出せませんでした。先日、教会でペアで祈りあう機会があったのでそのことを話しました。ペアになった方がイエスの名で責める思いからの自由を宣言し、解放と祝福の預言をしてくれました。それから自分にも家族にも色んな問題が起こっていますが、責める思いが起こっていないことに気づきました。感謝します!

◎神様の方法で解決した証

職場でひどいことをするスタッフがいました。その時「主は私と同じ様にその人を愛してる」と受け取って祈りました。心からとは言えませんでしたが祝福し続けました。そうしていったら、職場が変わってきました。感情ではなく「神様の法則」に生きることが大切だと感じました。

 

◎癒された証

胃腸の調子が悪くなり、毎朝胃や腸がどくどくと脈打つのを感じて目が覚めていました。牧師からイエスの血潮の宣言をするアドバイスをもらいました。そこで胃腸にイエスの血潮を宣言し、イエスの名で治まるように命じるとその拍動がぴたりと収まりました。毎朝宣言を繰り返す中で、胃腸の調子がよくなりました。

 

◎心が解放された証

長年、父との関係が悪くて、そのことがずっと嫌でした。先日、神様から「あなたはお父さんが大好きなんだよ」と語られ、自分は父が大好きなんだと気づきました。今まで、大好きなのに愛情表現をしてもらえなかったので、私は怒っていたのだと分かりました。これからもずっと嫌いでいると思っていたので、神様にそのことを気づかせてもらって嬉しくなりました。