8月の証(あかし)

◎神様の恵みを体験した証

最近、母が耐えられないくらいお腹が痛いと、手術となり、癌が見つかりました。

母が入院している間、神様に母を取らないでくださいと泣きながら祈りました。

そしたら聖書に、「わが民の君主ヒゼキヤのもとに戻って言いなさい。『あなたの父祖ダビデの神、主はこう言われる。わたしはあなたの祈りを聞き、涙を見た。見よ、わたしはあなたをいやし、三日目にあなたは主の神殿に上れるだろう。わたしはあなたの寿命を十五年延ばし、アッシリアの王の手からあなたとこの都を救い出す。わたしはわたし自身のために、わが僕ダビデのために、この都を守り抜く。』(列王記下20:5-6)

死ぬことなく、生きながらえて主の御業を語り伝えよう。」(詩編118:17)と書いてあり、なんてタイムリーなみことばだとうかと思い、毎日宣言して祈りました。

でも、他にも病変が見つかったり、恐れにとらわれてしまって、神様はとる時にはとるんだという思いになってしまいましたが、「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」(マタイの福音書7:7)のみことばと、「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」(ローマ人への手紙8:32)のみことばが与えられました。

そして、「主に信頼し、善を行え。この地に住み着き、信仰を糧とせよ。」(詩編37:3)のみことばを通して、「大丈夫だから善を行え」と神様に言われたように思いました。不安でいっぱいでしたが、みことばに従って職場の人に親切にしていたら、クリスチャンに良い印象をもってもらえて、福音を語れるチャンスをくださいとずっと祈っていましたが、福音を語ることができました。

そして母も手術をして、病変は全部ポリープだったということで、無事退院しました。みことばが真実であったと思いました。

人生で1番苦しかったですが、母の入院を通して1番難しいと思っていた祈りが一回できかれ、家族に奇跡がおきました。

限界だと思った時は、近所のクリスチャンの親戚の方々がたびたび料理をもってきてくれたり、色々なクリスチャンの方が祈ってくれて、励ましのメッセージやプレゼントや献金までくださって、手術代や入院代も十分必要が満たされ、人を通して神様の助けや愛を感じました。

色々大変なことはあったのですが、神様は試練の中で一回一回脱出の道を与えてくださり、神様のタイミングの素晴らしさも感じました。

後で聞いた話なのですが、母がお腹が痛くて倒れた時に、家族のことはあとは神様に任せるだけだというすごい解放感と喜びがあったそうです。

苦難の中で神様が働いてくださったと思い、感謝します。

どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である。」(詩編62;8)

思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。」(ペテロの手紙第一5:7)

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ人への手紙8:28)