証(あかし)2013

私が経験した病気の癒やしについてお話ししたいと思います。

私は幼い頃からアレルギー性鼻炎がひどく、両鼻で呼吸をしたことがありませんでした。クリスチャンではありましたが、これは仕方ないことだとずっと心の中であきらめていました。しかし、ある聖会にてそのあきらめている心があることに気づかされ、自分のあきらめていた心と鼻炎のことを神様にゆだねました。

すると、心の奥底から「絶対に治る」という強い確信が沸き起こってきました。そして、気づくとたまっていた鼻水が溶けて両鼻で呼吸できるようになっていました。

それから、いろいろな病気の兆候が見られた時も、「絶対に治らないと思っていた鼻炎が治ったから、これも神様が治さして下さる!」と確信を持つことができるようになり、病院に健康診断以外で行くことがなくなってしまいました。

「神の恵みによって、私は今の私になりました。」コリント人への手紙第一15章10節

「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」ヘブル人への手紙11章1節 

ゆだねることで、まず心を変えて下さった神様に感謝します。

ハレルヤ。主の御名をほめたたえます。

オイコスチャーチ建堂5周年、主の圧倒的な守りの中で、今日を迎えられたことを、主に感謝致します。私はオイコスチャーチに通うようになって、もうすぐ8ヶ月となります。主の導きにより、オイコスチャーチに通えるようになったことを、心から主に感謝します。

本日は、私がオイコスチャーチに通うようになった頃、主がして下さったことをお証したいと思います。当時、私には、大切な彼がいました。彼は、優しく、真面目で、朗らかで、いろんな才能をもっていました。彼と多くの時間を共有し、思い出も沢山できました。お付き合いが長くなるうち、結婚も視野に入れるようになりました。私の両親と彼、彼の両親と私の間にも良好な関係が築かれつつありました。将来の話も少しずつ進み、日常は仲良く過ごせていたのですが、ある話題になると激しくぶつかり合うようになりました。普段が仲良しだったので、ぶつかってしまうことにとても苦しさを覚えました。どうして分かってくれないのだろう、と悩むようになりました。

ぶつかった話題とは、信仰のことです。彼もイエス様を信じてはいましたが、互いの目指す方向にすれ違いがあることが徐々に分かってきました。彼と信仰において一致ができるよう、何度も何度も祈りました。結婚して、同じ方向を向いて日々を送りたい、と必死に祈りました。しかし、どんなに祈っても、彼との溝は埋まりませんでした。主が彼も愛し、私も愛して、この2人での結婚は御心ではないのだよと教え続けて下さっていたのですが、その時はなかなか気付くことができませんでした。また、結婚することの意義・重みを十分に知らず、憧れの気持ちが先立っていたようにも思います。

ある日、信仰のことで再び激しくぶつかり、私の家に来ていた彼は怒り散らして部屋を飛び出していきました。怒った彼の形相が怖かったのと、心の内にある信仰には揺らぎがないのとで、自分の中で混乱を生じてしまいました。泣きながら、震えながらしばらく過ごす中で、祈り、聖書を読む時間が与えられました。そして、次の御言葉に出会いました。「主なるわたしは正義をもってあなたを召した。わたしはあなたの手をとり、あなたを守った。(イザヤ書42:6、口語訳)」この御言葉を読んだ時、今まで持ち続けていた不安や心の中の混乱がさっと取り去られました。それまでも聖書を読んではいたけれど、なんとなく読んでいた感じで、こんなにも感動をもって御言葉が迫ってきたのは久しぶりでした。嬉しくて、示された御言葉をアーメンで受け取りました。

それ以降、別れ話を伝える日まで、彼に会わずに過ごすこととなりました。一人の時間が多くなり、寂しさに耐えられるのか心配でしたが、その寂しささえ知っておられる主は、いつも慰めを下さり、不思議な平安が臨みました。時には泣くこともあったけれど、泣くだけで終わらず、「主よ」と呼ぶ時、主はいろんな方法で語りかけて下さいました。主は遠くから見守っておられたのではなく、近くに、側にいて下さったのです。主はいつも側にいて下さったのです。こんなにも近くにいて下さり、語って下さっていたのに、今までは主の語りかけを求めず、自己中心であり、主よりも彼と過ごす時間を優先していたことに気付きました。自分の信仰の足りない部分に気付かされ、「私が彼によって受けた痛みの、その何倍もの痛みを主は私から受けながらも、愛し続けて下さっていたのだ」と分かりました。

このことを通して、主と私の関係の回復が始まっていきました。主の愛と憐れみによって、ここまで、癒され、強められ、主に喜ばれることを願う自分へと変えられていきました。私がイエス様の十字架と復活を信じ救われたのはかなり前ですが、救われてしまえば完了するのではなく、救われてからが始まりであり、さらに、主を第一にし、「主に喜ばれる者になりたい」と心から願うようになるとき、主の深い介入が始まるのだと分かりました。私がどんな状態であっても、待ち続けて下さり、愛し続けて下さり、これからも変わらぬ愛で愛して下さる主に心から感謝します。そして、まだ残っている不十分な部分も、主との交わりを通して、御言葉を通して、教会生活を通して、日々主が取り扱い、整えて下さることを信じ感謝します。

あなたは、私のいのちを死から、まことに私の足を、つまずきから、救い出してくださいました。それは、私が、いのちの光のうちに、神の御前を歩むためでした。(詩篇56:13

ハレルヤ。全ての栄光を主にお返し致します。

私の信仰のスタートは、ちょうど映画「always3丁目の夕日」に描かれている昭和の時代でした。当時はたくさんの宣教師が日本に派遣されて各地に教会ができていました。私の父も宣教師に導かれてクリスチャンになり、家族で教会に通い始めました。私が小学校2年の時です。間もなく母も洗礼を受けました。

私は翌年の羽鳥明師の集会でイエス様を信じました。私は人見知りで消極的な上、わがままでしたが、イエス様を信じて変わりました。久しぶりに私に会ったおじいちゃんが「Kちゃんはいい子になった」と言って喜んでくれました。また、母と弟と三人で毎晩聖書物語を読み、その祈りの中で、目の病気、鼻の病気が癒されました。日曜日には近所のお友達も誘い、毎回7~8人で教会学校に通いました。神様が祝福してくださり、本当に楽しい子供時代に変えてくださった事を感謝しています。

しかし、私は高校に入ってから、すっかり暗くなってしまいました。高校では、生徒も教師も有名大学に入ることだけを目標にしているように感じました。毎日がむなしく、学校へは遅刻したり、時々サボったりしていました。その上、そろそろ洗礼をうけたらと勧められ、納得しないまま洗礼を受けました。こんな状態から脱出したいと思い、東京の大学に進学して一人暮らしを始めました。新しい希望をもってスタートした学生生活、有意義なこともたくさんありました。母への感謝も、一人になってみるとしみじみ感じました。しかし学生運動のため大学がロックアウトになり、授業が何か月もできないという事が何度もありました。

その間サークルの仲間と遊んだり、時には飲みに行ったりして、次第に教会から離れてしまいました。むしろ教会にはしばられて、自分の人生を生きていないように感じていました。「私って何に対しても中途半端!でも何にしても本気になれない。だったら酒も煙草もやるぞ!一応マリファナも試してみる!悪いと思ったことは一通りやってみよう」とサタンが喜びそうな発想になっていきました。デザイン系の職場に就職して、毎日残業で遅くなり、東京での一人暮らしに疲れを感じ、また失恋もして25歳の時に故郷の長野に帰りました。

母から勧められ愛知県民の森で開催されたリバイバルセミナーに参加しました。そこには、まだ20代だった滝本順師、高校生だった滝本開君、その他にもクリスチャンホームの若者たちがたくさん集まっていました。皆ムキたまごのようにすっきりとした顔を輝かせて奉仕したり、賛美したりしていました。信じられない!クリスチャンホームで育って、こんなに信仰が生き生きしているなんて!!私も彼らのようになりたいと強く思いました。また今も聖霊様が生きて働いていることを初めて知りました。

セミナーから帰り、何とか新しい自分になりたいと思いつつ、また今までの荒れた生活に逆戻りしてしまいました。「自分でしたいと思う善を行わないで、かえってしたくない悪を行っています」と聖書に書いてある通りです。すっかり失望してしまった私は、3日間自室にこもり、食事もせず、閉じこもっていました。「私は罪人です。こんな私を赦してもらえるのか?」と何回も自問しつついると、急に明るい光がさしてきて、私の思いの中に「あなたの罪を赦した!」という感覚が入ってきました。それと同時にイエス様への感謝と喜びで、心がいっぱいになり張り裂けそうになりました。

その日から、私の思いも行動も全て変えられました。「誰でも、キリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者、古きは過ぎ去り、すべては新しい」と聖書にある通りです。ただこんな私のために、罪を赦そうと十字架にかかってくださったイエス様が、ありがたくて、ありがたくて、毎日感謝し続けました。

またデザインの仕事を神様にゆだねて辞めました。すべて新しくしたいと思ったからです。失業保険をもらっている間、教会の中高生のための礼拝「ヤング・チャペル」を母と何人かのスタッフとともに立ち上げました。神様が祝福してくださり、今まで教会を離れていた中高生も集まり、生き生きとした礼拝がささげられるようになりました。

ちょうど失業保険が切れた次の日から、新しい仕事を与えられました。神様のタイミングの素晴らしさにびっくりでした。新しく事業を始めた会社のオープニングスタッフとして商品企画の仕事を任されました。神様は私のしたい事できる事をよく知っておられると思いました。1年間はすべて新しい事で、社員全員すごく苦労しましたが、会社はどんどん大きくなり、私も企画部部長として20人くらいのスタッフをまとめる役になりました。またロサンゼルスやニューヨークにも視察旅行に行かせてもらいました。

神様は暗く出口の見えない中でもがいていた私を救ってくださり、祝福の中に入れて下さいました。聖書を読んでも、今まで心に響かなかった私が、心からうなずいて一句一句読むようになりました。こんな私さえ救われたのだから、どんな人でもきっと救われる、変えられ、喜びを味わうことができる!このイエス様をもっと知ってほしい!と願っています。

私の家はクリスチャンホームでした。小さい頃の私は、神様を信じていて、お祈りをしたり、おばあちゃんにイエス様の事を伝道したりしていました。(おばあちゃんもクリスチャンでしたけど…)でも、イエス様を自分の救い主として受け入れていませんでした。

ある時期から、父がたびたび洗礼をすすめましたが、人前に出るのが苦手ということもあり、信仰告白や洗礼式をするのが嫌で、「めんどくさいな」と思っていました。

11歳のある日曜日の夜、うちの家族だけで、お弁当とお菓子を持って、ひっそりと教会へ行って子供礼拝をしていました。先生をしていた母のその日のメッセージは「天国と地獄へ行ってきた人」の話でした。思いっきり恐い地獄の話を聞かされた私は「自分はもうだめだー!」という思いになりました。自分はこのままだと永遠の地獄へ行くんだ、と講壇の裏に行ってしばらく一人で泣いていました。

帰りの車の中で母と二人っきりの時「どうしたら天国へ行けるの?」と聞きました。救われたくて必死でした。母は、これは聖霊様が導かれていると思い、人間は誰でも罪をもって生まれた事、イエス様が私たちの罪のために十字架にかかって死んでくださった事、そのイエス様を信じた人は救われるという事を話してくれました。それから、母の後について、イエス様を受け入れる祈りをしました。

すると、今まで全く感じた事のない、自分の思いではない、暖かい神様の思いが入って来て、これは何だろうと思いましたが、「神様だ!」と、すぐに分かりました。本当の喜びと平安、救われたという確信が来て、涙が止まりませんでした。今まで、神様の事は知っていたけど、この時に、本当に神様はおられるという事が分かりました。

その時から、早く洗礼を受けたい!神様の喜ばれる事ならなんだってしたい!という思いに変えられました。そして、その年の12月に洗礼を受けました。それから、神様の事が知りたくて、聖書を読むようになり、その中で少しずつ変えられていきました。また、本当に辛いときや、苦しいときは、神様が慰めや励ましを与えてくださり、問題と思っていたことも、神様が益と変えてくださいました。今まで出来なかった事も、神様の恵みによってできるようになりました。神様は本当に素晴らしいお方です。神様の恵みに感謝します。ハレルヤ!

「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるからです。」ローマ人への手紙10章9~10

私の個人的な神様との出会いは、大学生の時でした。小学生の頃から母に連れられて教会に通っていましたが、神様の事はわかるようでわからない、信じているけど本当に心から信じているのか、自分の中でどこかあいまいさがありました。地元を離れて一人暮らしをする中で、一人で神様に向き合うことができました。自分の思いや感情を少しずつですが、神様に伝えました。私は子供の頃はあまり笑う方ではなく、動じず、騒がず、おとなしい子でした。どちらかというと何か冷めた所があったと思います。口数も少なかったです。そんな私が、一人の時間を過ごす時、神様を思うようになりました。聖書の御言葉や賛美、礼拝を通して、神様ご自身を今まで以上に知ることができました。御言葉を読むと自然に涙が流れ、神様の思い、深くて温かい、力のある思いが伝わってきました。それまで、映画を見てもほとんど泣いたことのない私でしたが、主は触れて下さいました。

新社会人として働いていた時も、仕事がきつくて四方八方すべてふさがれているように感じた時、私は主を呼び求めました。すると、主は私に応えて下さいました。四方八方ふさがれて、私には何も助けがないと思いましたが、ふと、神様との通路があると、気づくことができました。神様にすべてを話そう、神様に自分の胸の内を伝えようと思い、叫び求める祈りをすることができました。神様との関係に目を留めた時、御言葉を読み、また祈り始めることができました。主は、私が神様に向いたときに応えて下さいました。私が近づいたので主が近づいて下さいました。

「私の神、主よ。私があなたに叫び求めると、あなたは私を、いやされました」詩編30編2節

主よ、感謝します。あなたは私がいつもあなたに叫び求めることを望んでおられました。そして私が叫び求めると、私をいやし、なぐさめ、時には力を与え、一歩踏み出す勇気も与えて下さったことを感謝します。主に栄光をお返しします。

ハレルヤ!主の御名を賛美します。私が最近、神様から教えてもらったことを紹介したいと思います。

私は今年の3月で今まで働いていた職場を退職しました。いろいろと問題がある職場で、前から「辞めたい」と思っていました。だけど、生活の事を考えるとなかなか前に進む勇気がもてませんでした。自分の思いだけで辞めるか選択するのは間違った方を選択してしまうおそれがあるので、神様に祈り神様の思いを待っていました。

本気で辞めたいと思ってから退職を決断するまで長い時間がかかりました。その期間は本当に苦しくて辛くて仕方がありませんでした。人数不足でひとりがかかえる仕事量が限界をこえていたり、人間関係が複雑で何度も辞めたいと思いました。「どうして神様は苦しんでいる私を助けてくれないのか。」「神様はひどい。」などと思っていました。だけど、神様は私を助け出してくれました。ずいぶん時間がかかったけど、神様は神様のときを見て私に聖書のことばをくれました。

退職する選択を確信して前に進もうとしたら、次はそのことを上司に伝えることが恐くて立ち止まってしまいました。退職していく人に冷たい態度をとる上司の行動を何度も見てきたので、次は自分に回ってくるのだと思ったら恐くてずっと言えませんでした。そんな状況の私に神様はいつも力強いことばをくれました。そして、最終的に契約更新の時期が来て上司に伝えることができました。何度か話し合いがあって「このまま続けた方がいいかな」とも思いましたが、3月いっぱいで退職するという結果に落ちつきました。やっと退職できるとうれしかった半面、仕事がすぐに見つかるのか、生活をきちんとやっていけるのか不安でした。だけど、神様は母親と私を守ってくれました。私はうつ病と強迫性障害と診断されて、今はまだ仕事をしていません。だけど、すぐに雇用保険の給付を受けることができ、私たち親子の生活は守られています。

この経験を通して、わたしの神様に対する思いが変わりました。これまでだって「神様は私を守ってくれる」と信じていました。だけど、自分でも気づかぬうちに自分ひとりでがむしゃらに走っていたことに気づきました。神様に助けを求めていながら、結局は自分で何とかしようとしていました。自分しか信用していなかったんだとわかりました。だけど、この経験から自分の力で頑張ることには限界があることを改めて教えられました。ときに、自分の力で頑張らなくてはいけない時期もあると思います。けれど、あきらめずに神様に自分の心を向け続けていくことが大切だとわかりました。そうすれば、神様は必ず突破の道を与えてくれると信じています。

「私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。」コリント人への手紙4章8~9節

「主は、いつまでも見放してはおられない。たとい悩みを受けても、主は、その豊かな恵みによって、あわれんでくださる。主は人の子らを、ただ苦しめ悩まそうとは、思っておられない。」哀歌3章31~33節

 「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」コリントⅡ5:17

高校2年生の時、私は、極度の神経症・対人恐怖症のため、学校を中退しました。

中退してからは、自分だけが世の中から取り残されてしまったような、大変な孤独感を感じていました。昼間は人目が気になって外に出られず、夜中に外に出ては星を眺めながら、「自分は一体何のためにこの世に生まれてきたのだろう」「なぜこの時代に、また、よりによってなぜこんな両親の元に生まれてこなければならなかったのだろう」「もしこのまま世の中に出ることもできず、一生が終わるとしたら、自分が存在したことに何の意味があるのだろう」「もしこの世に神という存在があるのなら、なぜ私をほっとくのだろう」「本当に神様がいるのなら早く私をここから救い出してください!」と心の中で叫んでいました。

先の見えない生活に耐えられず、親を殺すか自分が死ぬか、しかしこのまま死んでしまうのが悔しいのと、死んだ先がどうなるのかわからないという葛藤の中、ギリギリの状態で踏みとどまっていました。

そんなある日、ひとりの牧師がわが家を訪ね、病気の母に熱心に伝道を始められました。

「イエス・キリストを信じれば救われる」「変えられる」「病気も癒される」ということを、ご自身の体験や聖書から熱心に説いておられました。ひきこもりで挨拶もできなかった私は、その話を隣の部屋でじっと聴いていました。 その牧師は、18歳の時から10年間、肺結核で入院生活をしていたところを、宣教師の導きによってイエス・キリストを信じ、救われ、癒されたこと。そして、この素晴らしい神様を伝えるために牧師になったことなどを証しされていました。

埋もれていた人生がイエス・キリストを信じる信仰によって完全に解放される。その体験を聴きながら、いつしか自分も一度教会へ行ってみたいと思うようになっていました。

1970年4月28日、ひとりで教会へ行く勇気がなかった私は、私と同じくひきこもっている兄を誘ってみました。『俺たちがこのまま、こんな生活を続けていても一生うだつが上がらない。集会に行ってみて、変えられたら儲けもの、もし変えられなかったとしても、それでもともと、それなら行くだけは行ってみよう』と二人で特別伝道集会へ出かけました。

二日目の晩に私も兄も、イエス・キリストを自分の救い主と信じ、従う決心をしました。その2ヶ月後には、母と兄と私の3人が同時に洗礼を受けました。後に他の兄弟達も次々に全員洗礼を受けました。初めは反対し迫害していた父も、6年後に胃癌がきっかけとなり、残りの人生をイエス・キリストに明け渡し、教会の会計を20年務めました。

イエス・キリストを自分の救い主と信じてから、様々な困難や試練の中を通りながらも、神様がともにいて助けてくださったので、20歳で高校を卒業することができました。社会人としても39年間、建築の仕事に携わることができました。

かつては6人兄弟の中で、両親に最も逆らった私でしたが、両親が晩年になってからは、私を一番頼りにしてくれたこと、また両親が天に召されるまで、精一杯お世話をすることができたことは、ただ神様の恵みと憐れみによるものだと思っています。

また私のようなものは、一生結婚どころか恋愛もできないと思っていましたが、34歳の時、結婚の道が開かれ4人の子供にも恵まれました。神様が与えられたこの家族を、神様がさらに祝福してくださり、神様の栄光を現す存在として、用いてくださるようにと日々願っています。

私には何年も赦せない人がいました。その人のことを考えては怒りと復讐心が繰り返し湧き上がり、次会ったら何と言って傷つけようかと思いめぐらせる日々でした。同時に自分には人を赦す力も、愛する愛も全くないことに絶望していました。もう何をどうしたらいいかわからず、ただ神様に「私には人を赦せないし、愛したいとも思わない人間です」とありのままを祈っていました。

教会の礼拝のメッセージでは、「自分の感情によってではなく、信仰によって決断し選択していくときに祝福を受ける」という話を聖書から語られることがあります。信仰によって赦しますと宣言し、赦すことを選ぶとき、神様が喜ばれ、祈る本人の心が平安に変えられる大きな祝福です。でも私はそのことを「自分にはそんなことできない」「変わるべきなのは相手であって、私じゃない」「牧師先生は男性だから、女性がどれほど感情に振り回されるか分からないんだろうな」と他人事として思っていました。

でももうこのままでは嫌だ、変わりたいと思ったとき、思い切ってやってみようと思いました。「相手を赦します。愛します。感謝します。イエス様のお名前で祝福します」と宣言しました。自分の感情はその反対なので、口に出すのは勇気がいりました。でも何とか言葉にできたので、その日から淡々とイエス様の名前で宣言し続けました。次第に今までにない平安が与えられ、心の傷が癒されていきました。そして宣言どおりに私の中にも相手を祝福する思いが芽生えてきました。その中で、誰よりも自分自身が、多くの人を傷つけてきたこと示され、「私を赦して下さい」と悔い改める祈りに導かれました。その後、神様から、あなたの方から謝りなさいと語られ、思い切って謝ることができました。そして和解する恵みも与えられました。

私はずっと赦さないことで、相手に復讐していると思っていましたが、実際は自分で自分を苦しめているだけでした。神様はその思いを手放して自由になれるように私の心を少しずつ導いて下さいました。勇気を出して聖書の言葉に従ったとき、神様の力が私の中で働き、人生を祝福と希望へ変えてくださいました。癒しも愛も赦しも主から与えられました。今も生きて働かれる主イエス様のお名前を賛美します。

「真理はあなたがたを自由にします」ヨハネによる福音書8章32節

『聖餐式の恵み』

主の御名を心からあがめ賛美します。

主はくすしいお方であり、私を愛してくださっているという事を御業によってみせてくださいます。『聖餐式』を通して、主が私に与えてくださった不思議と恵みについて証をさせて頂きます。

私は洗礼を受けて今年で5年目ですが、教会に足を踏み入れてからは最早20年となります。教会に行くようになったきっかけは、仲良しのママ友がクリスチャンであったことから誘いを受け子供をつれて行くようになったことでした。

ママ友について行った教会で、初めて聖餐式というものを体験しました。もちろんその時はクリスチャンではありませんでしたので、聖餐式を眺めているだけでした。最初の頃は、小さなパン切れと少量のブドウジュースとを、老若男女がうやうやしくいただいている姿を見ても何も思わず、ただただ傍観していました。

それから時を経て求道者となり、このオイコスチャーチでまた聖餐式を眺める者となりました。オイコスチャーチでは第1日曜日の主日礼拝に聖餐式をとり行います。この時の聖餐式への思いは以前とは全く異なり「私も早く聖餐式を受ける者となりたい。」という様に変化し、先輩クリスチャンを羨望の眼差しで見るようになっていました。

この後洗礼を受け、晴れて聖餐式に与ることができる身となったのですが、仕事の関係上第1日曜日が必ずしも休みではなく、受洗後3か月経っても聖餐式に与ることができずにいました。私は祭壇の前でつぶやきました。「聖餐式を受けたい。第1日曜日に教会に来たい。」

主は、この小さき私のつぶやきを、聞いていて下さったのです。主は大いなるお方です!このつぶやきの翌月から、なんと1年間連続で毎月聖餐式に与る恵みを私にお与え下さったのです。奇跡としか言いようがありませんでした。複雑な勤務シフトの中、休み希望は出していませんでした。第1日曜日に教会で行事があり、聖餐式が翌週の第2日曜日になった時でさえも主は、第2日曜日の聖餐式にちゃんと私を召し出して下さったのです。

1年間たっぷりと、聖餐式に与る恵みが与えられました。主のなさることはなんとくすしく素晴らしいのでしょう。神の国と神の義を求めるならば、予想や想像もつかない人知を超えた御業で、生きておられる主の愛を私達に示して下さるのです。

大いなる私達の主を褒めたたえ感謝し賛美します。 ハレルヤ! アーメン

ハレルヤ 恵みあふれる神様を崇め賛美と感謝をささげます。

ある日私はキリスト教会の集会へと行きました。そこで聖霊なる神様にふれられて不思議な体験をしました。以前の私とは違う私に変えられたのです。その日以来自分の内なる人が客観的に見えるようになり、悔い改めの泪がとめどなく流れつづけました。こんな罪深い私をあるがままで受け入れて下さり、私の身替りにイエス様が十字架に罰を受けて下さいました。救われたのです。十字架の上で流して下さった血潮で洗いきよめて下さり、神様のみ前に立ち礼拝をささげることが何よりの喜びとなりました。どす黒かった心は解放され、扁桃腺炎と喘息が何時の間にか癒されました。忙しい中にあっても聖書通読が慰めと励ましを与えて下さり、日々の営みも勝利。実にみことばによって生きて働き弱い私をイエス様のみ手の中で強くされています。

2012年不思議な神様の方法でオイコスチャーチへと導かれ、更に真理を学びつつおどろくばかりの恵みを受けています。教会はイエスキリスト様のみからだです。愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制。これらの御霊の実が豊かに結んでいくのを感じます。最近膝の不調が癒され夢のような現実を体験しております。すべての奇しいみ業に感謝と栄光を主イエス様にお返し致します。