10月の証(あかし)~K.Sさん~

私の信仰のスタートは、ちょうど映画「always3丁目の夕日」に描かれている昭和の時代でした。当時はたくさんの宣教師が日本に派遣されて各地に教会ができていました。私の父も宣教師に導かれてクリスチャンになり、家族で教会に通い始めました。私が小学校2年の時です。間もなく母も洗礼を受けました。

私は翌年の羽鳥明師の集会でイエス様を信じました。私は人見知りで消極的な上、わがままでしたが、イエス様を信じて変わりました。久しぶりに私に会ったおじいちゃんが「Kちゃんはいい子になった」と言って喜んでくれました。また、母と弟と三人で毎晩聖書物語を読み、その祈りの中で、目の病気、鼻の病気が癒されました。日曜日には近所のお友達も誘い、毎回7~8人で教会学校に通いました。神様が祝福してくださり、本当に楽しい子供時代に変えてくださった事を感謝しています。

しかし、私は高校に入ってから、すっかり暗くなってしまいました。高校では、生徒も教師も有名大学に入ることだけを目標にしているように感じました。毎日がむなしく、学校へは遅刻したり、時々サボったりしていました。その上、そろそろ洗礼をうけたらと勧められ、納得しないまま洗礼を受けました。こんな状態から脱出したいと思い、東京の大学に進学して一人暮らしを始めました。新しい希望をもってスタートした学生生活、有意義なこともたくさんありました。母への感謝も、一人になってみるとしみじみ感じました。しかし学生運動のため大学がロックアウトになり、授業が何か月もできないという事が何度もありました。

その間サークルの仲間と遊んだり、時には飲みに行ったりして、次第に教会から離れてしまいました。むしろ教会にはしばられて、自分の人生を生きていないように感じていました。「私って何に対しても中途半端!でも何にしても本気になれない。だったら酒も煙草もやるぞ!一応マリファナも試してみる!悪いと思ったことは一通りやってみよう」とサタンが喜びそうな発想になっていきました。デザイン系の職場に就職して、毎日残業で遅くなり、東京での一人暮らしに疲れを感じ、また失恋もして25歳の時に故郷の長野に帰りました。

母から勧められ愛知県民の森で開催されたリバイバルセミナーに参加しました。そこには、まだ20代だった滝本順師、高校生だった滝本開君、その他にもクリスチャンホームの若者たちがたくさん集まっていました。皆ムキたまごのようにすっきりとした顔を輝かせて奉仕したり、賛美したりしていました。信じられない!クリスチャンホームで育って、こんなに信仰が生き生きしているなんて!!私も彼らのようになりたいと強く思いました。また今も聖霊様が生きて働いていることを初めて知りました。

セミナーから帰り、何とか新しい自分になりたいと思いつつ、また今までの荒れた生活に逆戻りしてしまいました。「自分でしたいと思う善を行わないで、かえってしたくない悪を行っています」と聖書に書いてある通りです。すっかり失望してしまった私は、3日間自室にこもり、食事もせず、閉じこもっていました。「私は罪人です。こんな私を赦してもらえるのか?」と何回も自問しつついると、急に明るい光がさしてきて、私の思いの中に「あなたの罪を赦した!」という感覚が入ってきました。それと同時にイエス様への感謝と喜びで、心がいっぱいになり張り裂けそうになりました。

その日から、私の思いも行動も全て変えられました。「誰でも、キリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者、古きは過ぎ去り、すべては新しい」と聖書にある通りです。ただこんな私のために、罪を赦そうと十字架にかかってくださったイエス様が、ありがたくて、ありがたくて、毎日感謝し続けました。

またデザインの仕事を神様にゆだねて辞めました。すべて新しくしたいと思ったからです。失業保険をもらっている間、教会の中高生のための礼拝「ヤング・チャペル」を母と何人かのスタッフとともに立ち上げました。神様が祝福してくださり、今まで教会を離れていた中高生も集まり、生き生きとした礼拝がささげられるようになりました。

ちょうど失業保険が切れた次の日から、新しい仕事を与えられました。神様のタイミングの素晴らしさにびっくりでした。新しく事業を始めた会社のオープニングスタッフとして商品企画の仕事を任されました。神様は私のしたい事できる事をよく知っておられると思いました。1年間はすべて新しい事で、社員全員すごく苦労しましたが、会社はどんどん大きくなり、私も企画部部長として20人くらいのスタッフをまとめる役になりました。またロサンゼルスやニューヨークにも視察旅行に行かせてもらいました。

神様は暗く出口の見えない中でもがいていた私を救ってくださり、祝福の中に入れて下さいました。聖書を読んでも、今まで心に響かなかった私が、心からうなずいて一句一句読むようになりました。こんな私さえ救われたのだから、どんな人でもきっと救われる、変えられ、喜びを味わうことができる!このイエス様をもっと知ってほしい!と願っています。