証(あかし)2012

私が救われた当時、何年も付き合っていた彼がいました。彼はノンクリスチャンでしたが、クリスチャンとして生きるようになった私を尊重してくれ、その後も付き合いが続きました。しかし彼に聖書や信仰書をあげたり神様の話をしても、なかなか関心は持ってもらえませんでした。

やがて結婚のことを考えたとき、神様から「私と彼とどちらを選びますか?」と迫られました。私はいまノンクリスチャンの彼と結婚したら必ず元の生活に戻ってしまう。でももう神様なしの生活には戻れない。でも結婚するなら彼しか考えられない、という思いで葛藤していました。

私は悩んだ末に、彼にそのまま伝えました。「結婚するならあなたしかいないけど、クリスチャンじゃないと結婚できない。」と。心のどこかでは彼が「じゃあ僕もクリスチャンになろう」と言ってくれるかもしれないという期待もありましたが、返事は「何を言ってるのか意味が分からん。クリスチャンになれとか押しつけがましい。結婚なんかない。もう終わりや。」と言われ、それから音信不通になりました。

神様を選んだことに後悔はありませんでしたが、やはり彼からの言葉はショックでした。以前、私は神様から、彼が救われるという約束の御言葉をもらっていました。そこで改めてその個所を読み返したとき、聖書のどこにも「私の伝道を通して」とは書かれていないことに気づきました。私は、彼が他の誰かを通して神様と出合って救われてくれるなら、それでいいと思えるようになりました。そしてつらい時期から少しずつ立ち直りました。

それから数か月して、彼から電話がありました。「僕も洗礼を受ける」というのです。彼は、なぜ私がそこまで神様、イエス様というのかと思い、調べたそうです。その中で自分も救われ、洗礼を受ける決心をしたそうです。私は嬉しかったですが、その時には彼のことを全て神様にゆだねていたので「ただ主は素晴らしい」の一言でした。もし当時の私が彼に伝道して彼が救われたなら、私は彼に対して、心のどこかで自分が伝えたから彼は救われたという高ぶった思いを持ったと思います。だから神様は私とは全く関係のないところで彼を救いに導いて下さったのです。彼の洗礼式は本当に感動しました。

数か月後、私の母教会で婚約式、その数か月後には彼の住む福岡で結婚式をしました。結婚にも御言葉が与えられました。「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという美しさであろうか。(詩編133編より)」神様は私たちが二人とも救われてから夫婦になるという祝福を用意してくださっていました。私は大きな局面で神様を選ぶことができたのは結婚が最初でしたが、そこで神様の素晴らしさを知りました。そして御言葉は真実であると実感しました。色々なことはありますが、これからも神様を選ぶとき、必ずすべてが益となることを信じて歩みたいです。

 ハレルヤ!栄光ある主の御名を賛美致します。

 最近のことです。今年の4月3日、私は内科医の先生より糖尿病を宣告されました。血液検査データから先生に言わせると、「立派な糖尿病」との事でした。早速、薬物療法とウォーキング運動療法と食事療法を開始しました。しかし、食事療法の方は一か月も経たない内にギブアップしてしまいました。私は主婦ですし、食べ盛りの子供もいます。家族が喜んでくれるようにと毎日食事を作りながら、自分だけが食事制限する事がとても耐え難くなってきたのです。その事を内科の先生に伝えると、「では運動療法だけでいいですよ。食事療法は様子を見ましょう。」と言って下さいました。経口血糖降下剤を飲みながらウォーキングを続けていたある日、「そうだ、この糖尿病を、イエスの御名と血潮の力で縛ってみよう。」という思いが与えられました。その日から欠かさず糖尿病をイエスの御名と血潮の力によって祈りの中で縛り続けました。また、同時に、教会の祈祷会でも私の糖尿病の為に祈って下さるとのことでした。そして、4ヵ月たった8月のある日、内科医の先生が、「血液検査データがこんなに良くなっている。信じられない。一体何をしたのですか?」とびっくりして聞いてこられました。私は表面的に平静を装いつつ、「ただ処方された薬を飲み続け、運動療法として30分歩いてきただけです。」と伝えると、「たとえ、いくらそれを守っていても、数値がこんなに良くなることはまずない・・・」と首を捻っておられました。私は心の中でイエス様の勝利と癒しに感謝しました。今でも、毎日この祈りは続けています。先生が、「どんなに努力しても、これ以上下がることはないから。」とおっしゃったので、もっと検査数値が良くなるように祈り続けていきたいからです。

早いもので、私が主の救いを受けてから今年の10月で満18年になります。罪人の私の身代わりとして十字架にかかって下さり、償いをして下さったイエス様の十字架の贖いの故に、この私が救われ天国に入ることができる、これ以上の奇跡はありません。この私が救われた事自体が最高の奇跡ですが、私の日常生活の中でも、平安を与え、力ある働きをされ、日々私に奇跡を行って下さいます。この18年の間に主はたくさんの奇跡を見せて下さり、この身に行って下さいました。これは、神の「愛というご性質」によるものだと私は理解しています。神様は私達を愛してやまないが故に、私達を永遠の救いに招き入れるだけでは飽き足らず、私の日々の細やかな事までしっかりと心を配って下さるのだと思います。

イエス様は勝利者です。私は弱い者ですが、主は強いのです。神にできないことはありません。これからも、生きていく限り、様々な戦いや困難が起きることは避けられません。しかし、今日も生きて働いておられる主イエスに従い祈っていく中で、人々が「あり得ない。」というような驚くべき御業を主はこれからも見せて下さると信じていす。

全ての栄光を主にお返しします。