証(あかし)2014

ある本を通して、神様が私に教えてくださいました。「わたしはあなたを愛している。愛して愛して、とても大切に思っている。あなたはわたしの宝物だよ」と。聖書の御言葉や礼拝の中で神様に愛されていることはわかっているつもりでしたが、改めて神様の愛を受け取りました。

私は現在32才の独身です。同年代の人達は既に結婚し、子供の母親として、ある人の妻として幸せに暮らしてます。子供の頃は、結婚したくないと思ってましたが、神様に出会い、少しずつですが愛される事愛する事を体験し、結婚したいと思うようになりました。自分も女性として結婚し、子供を育てて幸せな家庭を築きたい。でも残念ながらまわりにそれらしき人はいません。

私はもともと人と関わる事が億劫で、出来れば人と関わりたくないといつも思ってました。なので友人や人との関係も得意ではありません。しかし、結婚は全く生活環境が異なる他人と生活を共に残りの人生を過ごすのですから、正直私に出来るのだろうかという思いもあります。でも、神様は聖書の中で結婚は祝福で、神が定めたものと語られます。神様が導く結婚は祝福なのです。私は神様に私の結婚を委ねました。いつ、どんな人と出会いがあるかわかりませんが、「全てには定まった時がある」ように神様の願われるように私のこれからの人生を神様におまかせしました。でも具体的な希望はきちんと神様に祈ってお伝えしてます(^_^)

まわりが結婚していく中で、寂しさや焦りもありましたが、神様は「今を大切にしなさい」と教えて下さいました。一人の今、女性として信仰者として成長出来る時だと。そして神様の愛で包んで下さいました。神様に従順であること、勤勉に仕えること、品性を磨き、忍耐強く待つことも教えて頂いてます。神様が一番良いという時に一番の最高の祝福を受け取りたいと思います。神様が用意される祝福は私達の思いをはるかに越えたものであることを握って。。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」聖書(イザヤ書434)

※「貴女を輝かせる10章~独身時代こそ自分を磨くチャンス~」デビ・ジョーンズ&ジャッキー・ケンダル著/川端光生訳/川端黎子監修/イーグレープ出版/2014新装版刊

私は30歳でイエス・キリストを救い主として信じ、クリスチャンになりました。

 以前の私の全てについてお話しするには、紙が何枚あっても足りません。その一部を皆様にお話します。

 20代の頃の私は、人から見れば順調な人生を歩んでいる普通の女性に見られていました。友人からは、仕事も私生活も充実しているように思われていました。私は決して正しく生きた若者ではありません。私は、聖書でいう悪から悪に生きた人生でした。きっと自分は地獄に行くにちがいないと確信していました。多分、多くの人々は善と悪の両面を持ちつつ歩んでいるのではないでしょうか。そして、どうにかしたいけどどうにもできないと思いあぐね、格闘しつつ生きているのではないでしょうか。私もこんな自分をどうにかしたいと思い、占い・座禅・セミナー・護摩たき・・・ありとあらゆる所に行きましたが、不安や恐れを取り去ることはできませんでした。

 20代のある時から、私はある夢を数か月に1回みるようになりました。それは、人類と私が滅びるカウントダウンの夢でした。天から火が降ってきて十秒後に人々が滅びようとしているのです。私や他の人々が身をかがめつつカウントダウンしています。しかし、いつもゼロまでいかずカウント1か2で夢から覚めていました。その夢はイエス・キリストを救い主と信じるまで何年も続きました。しかし、イエス・キリストを信じた時からその夢をパタッと見なくなりました。実は、その夢を見続けていた期間は言いようのない恐怖でいっぱいで、「明日の自分、来年の自分はどうなっているかわからない」という不安にさいなまれていました。あの夢は神様からの警告であったと今になって分かります。あのまま、罪を犯し続けていくなら、自分も人生も滅びるしかなかった。しかし、夢の中で私が死んだり滅んだりしなかったのは、神様の救いと憐みがあることを私に示して下さっていたんだと感じます。「あなたは決して滅びない。死なない。助かる。」ことも教えて下さっていた様にも思えました。

 私は人に語れない罪深い人生を送りました。しかし、今は、イエス・キリストにより罪の贖いと赦しを受けて人生を新たにして頂いています。私が罪人であること、そして、イエス・キリストはこんな私の個人的な罪のためにも十字架にかかって下さり、死んで三日目に甦ったことを信じ、自分の口で告白しました。このことを通して新しく生まれ変わった私には、あの恐い夢も、先の不安も今は全くありません。この世での人生が終わっても、地獄ではなく天国に帰ることが出来るというゆるぎなき確信を頂いています。私はこれからも、このような素晴らしい平安と確信を下さった神様と共に生きていきたいと思います。そして、底なしの不安に苦しんでいる人々に神様の救いを紹介していきたいと思います。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を(人間)愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」     

「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。」                                  聖書

 神様はあなたを待っておられます。待ち続けておられます。イエス様のもとに来れば、たとえどんな罪人であっても救いを受けることができます。人生が劇的に変わります。あなたは愛されるために生まれてきました。是非、お近くのキリスト教会に行かれて下さい。

神の平安が皆様の上に豊かにありますように、心からお祈り申し上げます。

        

私は老人福祉施設で働いています。この時期になると、ミッションスクールの福祉科の高校生が実習にやって来ます。私は実習生担当の係りなのですが、私の子供といっても良いような年齢の学生さんとの価値観のギャップに向き合うことに少し困難を感じていました。とはいえ、実習に来た学生との心の隙間を埋めようと、色々話かけることがあります。

「何故この学校を選んだの?」と、普通科ではなく福祉科を選んだ理由を学生に聞きます。

長年実習担当をやってきたなかで、色々な答えを聞きました。例えば、

「私の性格にあっている・・・と思ったから」「理由は、親が入学しろ!と言ったから・・・イヤイヤ来ました」など様々でした。

今回の学生さんの1人に「自分はこの仕事は向いていません・・・」と実習を始める前から諦めていた子がいました。私たち職員も色々話しかけたり、励ましたり、やってみたのですが、この学生さんの気持ちはしっかり固まっていて、私たちの言葉はなかなか心に届かないようでした。一ヶ月しかない実習期間なのに、三週目も心はかたくなで熱意のない実習態度が続いていました。私はこの学生さんの学校に電話しようか?止めようか?と思い悩み、学校の名刺を眺めていると・・

「こんにちは!!お久しぶりです!!」と学校の実習担当の先生が施設に来られました。私は神様が連れて来てくれたと思い、この機会を使って、私の担当の学生のことを包み隠さず話ました。先生は「ありがとうございます」との言葉ではありましたが・・・・涙ぐんで話を聞いておられました。私の話が終わった時に、先生の方から

「私が話してみます。どうしても判らないのであれば、実習を中断して連れて帰ります。」と言われました。

それから、立ちぱっなしのお話がコンコンと続きました。学生さんも涙を浮かべて、肩も揺らして辛そうでした。私は自分の心の中を神様に見られたような気がしました。今は偉そうに色んなことを言って指導している私ですが、高校生の時の自分を振り返り、この学生さんとあまり変りなかったなぁと思わせられました。自分だけで大きくなったように思っていた私ですが、私が気が付かない所でいろんな方々のサポートがあったことに気付かされました。私の薄っぺらい指導の熱意とは違い、学校の実習担当の先生の深い愛情を感じました。自分の面子などはかなぐり捨てて本当に学生と真摯に向き合っておられる姿に感動しました。

その学生は学生で自分なりの殻を破ろうとしていました。叱られたその時から徐々に変化が見えてきました。

テモテへの手紙第二2章25節

反対する人たちを柔和な心で訓戒しなさい。もしかすると、神は彼らに悔い改めの心を与えて真理を悟らせて下さるでしょう。

このことがきっかけで、本当の意味での実習が始まったようでした。私もこの先生のように、愛情深く柔和な姿勢で真剣に本音で人と向き合うことが出来るようになりたいと考えさせられました

私は、ホームスクーリングのクリスチャンホームで育って、12歳の時に洗礼を受けました。でも、いろいろなことに傷ついて、15歳くらいの時から、お腹が痛くなって、心配で、外に出られなくなり、教会にも、たまにですが、やっとの思いで行っていました。そんな中で、神様は私に、「あなたのお腹のことは、わたしが一番心配してる。でも、わたしのために教会に来てくれるのが嬉しい」と、語ってくださり、すごく慰められました。しかし、教会でホームスクーリングを理解してもらえないことや、いろいろな言葉に傷ついて、教会に行かなくなりました。そんな中で、ガーデニングにハマって、まったく人にも会わず、3年くらいガーデニングをしていました。それなりに、充実した毎日を過ごしていましたが、心の中では、教会にも行けなくて、賛美や、声に出して祈ること、奉仕もできない、こんな罪深い自分に、きっと神様はガッカリしてると思ってました。でも、いつもそんな祈りをする時に、神様は私を慰めてくださいました。

そんなある日、突然、まったく面識のないクリスチャンでもない男2人が家に来て、なぜか帰らなくて、その日から、その人達との同居生活が始まってしまい、日曜日はみんな教会に行ってしまうし、お腹の心配よりも、家にいることの方が、怖くて、気まずくて、今の教会に行くことができました。でも、最初は、また、傷つくかもしれない、さばかれるかもしれないと、いろいろな恐れがありました。でも、教会に入って、椅子に座った瞬間に、押し倒されそうなくらいの、すごい油そそぎがあって、神様が、放蕩息子のお父さんのように、私のことをずっと待ってて、喜んで、抱きしめてくださったように感じて、家に帰るまでずっと涙が止まりませんでした。それから、また教会に行くようになって、神様はいままで苦しかったことを、忘れてしまうくらい、たくさん恵みや癒しを与えてくださいました。

本当に苦しい状況の中で、アンテオケミニストリーに行って、異言が与えられて、言葉にだして祈れない私にとって、異言で祈れることは、すごい喜びで、慰めで、それから、だんだん賛美や、言葉も少しずつ解かれてきて、異言で祈る中で、神様が、毎日たくさん油注ぎを与えてくださって、困難を乗り越えることができました。お腹も、神様が癒してくださり、前は、お風呂に入るのも、散歩に行くのも、車に乗るのも、気絶しそうなくらいプレッシャーだったのに、毎週教会に行ける恵みを与えてくださり、車の免許までとることができました。

前は、人の言葉で半年くらい落ち込んでいたわたしが、そんなに落ち込まなくなり、今は、神様の一言で、すぐに立ち直ることができます。ずっとしていたガーデニングも、神様が用いてくださり、今年は、夢だったオープンガーデンもすることができました。賛美も、子供のころから人前では絶対に歌えない私が、教会で賛美をすることができました。信徒の交わりや、教会に行くことも、前は苦しくて、ただ安心して行ける教会を求めていましたが、神様は、私が願っていた以上のものを与えてくださり、いまは、みんなに会えるのが嬉しくて、交わりも楽しくて、日曜日が待ち遠しいくらいです。神様は、一番良いタイミングで教会に行かせてくださり、最悪の事態も、神様は、教会に行ける荒療治に用いてくださり、一番苦しい状況の中でも、神様は慰めや喜びを豊かに与えてくださいます。ハレルヤ!
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私達は知っています。」ローマ人への手紙828

♪今回はオイコスチャーチに来られたことのある方の証をご紹介します。

牧師に従順することが神さまの喜ばれることだと、私は身を持って体験しました。「従順するって、牧師の奴隷になりたくない、牧師が間違っていたらどうするんだ!」と思っていました。「神さまにはもちろん、従いますよ。でも牧師が明らかに間違ってますよ。」傲慢にもそう思ったこともありました。

私たちの教会は数か月前までは、まさに殺伐として、信徒と牧師が真っ二つに割れかけていました。しかし神さまが介入しました。私の教会の牧師が、ある人をみんなの前で叱りました。言われていることは間違ってはいませんでしたが、かなりひどいことを言われていました。しかしその後、牧師はそのことを通して神さまの前にへりくだり、悔い改め、神さまの愛を受けて変えられました。私から見ると全くの別人に変わりました。今は信徒と牧師の関係もすごく良くなっているように思います。

今でも牧師は「それは違うんじゃない?」と思うことを言われることがあります。でも「はい」と従順し黙って聞いて待っていると、神さまがちゃんと必要な軌道修正をして下さいます。私が「牧師がやろうとしていることはいいと思うけど、やり方がこの教会の人達には合わないのでは…?」と思っていると、次の日あたりに牧師が「これからはこうします。」とやり方を変えることがありました。神さまは生きておられるから、必ず教会にとって良いことをして下さると信じることが大事だと分かりました。

「牧師に従いなさい。」というのが神さまの命令なら、従うべきで、その命令を守れば、神さまは必ず責任を持って下さることがわかりました。牧師が「それはどうかな?」と思うことを言われたら、神さまに祈ること、とりなすことです。神さまがそれを喜ばれるということを今は体験しています。そして、そのことを悟る人が増えていけば、神さまがその教会を祝福するのだと思います。

また、誰の目から見ても「今それをするのは違うんじゃない?」と思うことを牧師がしようとしたことがありました。ところが、別のところから来られた牧師が、ご自分の教会がリバイバルした例として、これから私たちの牧師がしようとしていることを話して下さいました。その時、多くの信徒の方が正しく見えても、霊の世界は違うのだ。だから霊的なリーダーに従わなくてはならないのだと気づかされたのです。

私と牧師とは、人間的に見れば相性は全然合いません。仮に信仰がなくても友だちになってたかもと思うクリスチャンもいますが、私の牧師は絶対に仲良くならないタイプです。でも人間的に好きなタイプでなくても、神様の霊で一致し、共に歩める、これが神さまの御業なのだと思います。牧師に反抗することは神さまの権威と戦うことだとも、聖書を通して知りました。油注がれた牧師には、大きな責任も任されているのだから、私たちは反抗するのではなく、祈り、助けることが使命なんだと思います。

ハレルヤ!主の御名を崇め賛美します。

今年の5月連休前に本社より九州工場の従業員全員5月9~12日に本社(岩手)に出張要請がありました。

金曜・土曜・日曜・月曜になっていました。金曜日の午前中まで九州工場で仕事をして、午後から飛行機で仙台まで行き車で一関(岩手)まで夜到着してホテルで宿泊、次の日、本社工場で仕事をして、夜は、食事会(本社従業員全員)、次の日(日曜)世界遺産(平泉・中尊寺)~厳美景~被災地(南三陸町)~仙台(宿泊)、月曜日朝、仙台空港~福岡空港着午後より、仕事の予定がくまれていました。

自分は主日礼拝は、なんとしても守らなければならないと思い出張を断ろうと思っていました。

他の人に聞いたら女性2人は、家庭の事情で断ったらしく、自分もと思っていたら、社長から連絡があり、本社の機械が調子悪いので来て調整してほしい。と名指しで念を押され、どうしても自分が行かなければならない状況になり困りはてました。今回の出張は、会長の思いと提案なので断る訳にはいきませんでしたが、「神様に何とか日曜日だけは礼拝を捧げる事が出来ます様に!」と祈りました。

ルカ11章10節「だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。」

ヤコブ4章2~3節「あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。」

5月7日に滅多に話す機会のない会長に、じかに話す機会が与えられ正直に思い切って話しました。「自分はクリスチャンですので、日曜日は欠かさず教会で礼拝を捧げています。日曜日は、自分だけで、すみませんが自由行動にさせて下さい。」とお願いしたところ、「君は岩手出身だから見るところないから自由にしていいよ!会社の車で良かったら使っていいからね。」とビックリな答えで、大喜びでした。

ダメだろうと思っても神様に本気で祈れば、そして御心であれば、祈りは叶えられ道は開かれる。と確信しました。日曜日は、仙台で家を開放して開拓伝道をしておられる岩手奥州教会で、その教会のクリスチャン達と共に礼拝を捧げ大変良き交わりの刻を過ごすことができ感謝感激でした。

主に栄光を返します。感謝します。アーメン!

私は結婚して子どもを授かり、最初の数年は子育てに追われ心身ともに休まりませんでした。教会の礼拝にも1か月に1度行けるかどうかでした。日々神様に助けを求めて祈っていましたが、ほとんど聖書は読まなくなっていました。

子どもが少しずつ成長し、私の体も回復してきた頃、また日課として聖書を読もうと思いました。そして聖書を開くと、そこに書いてあることが全然分かりませんでした。日本語としては読めるのですが、その意味が理解できませんでした。

何度読んでもイエス様の救い、十字架の意味が分からず、神様が自分から遠く離れてしまったような途方もない恐怖に襲われました。そしてクリスチャンの友人に電話をし、泣きながら「どうしよう。聖書に書いてあることが全然わからない。イエス様の救いの意味が分からなくて怖い。」と言いました。

すると友人は、イエス様は私を救うため、私の罪の身代わりに十字架にかかって死んでくださり、復活してくださった、それを信じた私たちはもう救われているんだよ、と説明してくれ、私がもう一度救いの確信を受け取れるように祈ってくれました。その時私の目が開かれて、イエス様の救いの意味や、自分と神様との関係がはっきり分かり、心が喜びで満たされました。

それまで私は聖書を読み、祈り、賛美し、できるだけ礼拝も捧げていたので、自分が聖書の核心である救いの意味が分からなくなるなんて考えもしませんでした。でもそれは「私はこれだけのことをやったんだから…」という自負と高慢の心でした。そこに初めての子育てが加わり、「これだけやってきた私が」すごく大変なのだから、神様は助けてくれるべきだと、いつも何かを要求する自己中心的な祈りばかりしていました。確かに神様はいつも私を守ってくださいましたが、私の心はそんな神様の計画や願いには向いていませんでした。神様が私から離れたのではなく、私の心が神様から離れたのでした。

でも再び神様を求めたとき、今までの間違った心のあり方に気づき、神様との関係を大事にしたいと願う心に変えられました。聖書を開く時間も少しずつでき、以前より感動をもって聖書を読むようになりました。

「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイの福音書633)

神様は私たちの日々の忙しさも、人知れない労苦も全てご存知です。ただ、どんな状況にあっても私たちが「それでも神様との関係を大切にしたい!」と願うなら、神様はその「心」を喜ばれて必ず祝福への道を拓いてくださいます。

「わたしは…人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」(第一サムエル記167節)

今も生きておられる神様は、私たちとの現在進行形の関係とコミュニケーションを望まれています。そして私たちが祝福された人生を歩むための秘訣を、神のことばである聖書を通して教えたいと願われている、愛に満ちたお方なのです。

天地万物の創造主なる父なる神様、御子イエス・キリスト様、いつも私たち信じる者と共にいましてイエス様の奇(くす)しき御業を体験させ啓示させてくださる聖霊なる神様に、心から感謝と賛美と祈りをおささげします。

私は昨年11月ごろ、突然ぜんそくの発作におそわれ息ができないほどの苦しい体験を致しました。内科を受診しアレルギー性ぜんそくと診断され、数種類のお薬をいただき飲みましたが、薬の副作用が強く生きた心地もせず、すぐに止め、今度は耳鼻科を受診し吸入器にてゆるやかな薬で気管支を洗浄していただき、一日おきに通院しました。

 4日、5日とソファーで坐ったままの睡眠、今まで体験したことのない息苦しさの中にあって、不思議なことに天国にいるような満ち足りた平安におおわれて、このまま召されたらうれしいな、この云()いようのない喜びはどこから来るのか、私はなんて幸いな人生を歩んできたなと泪(なみだ)がこぼれ、死の恐さはみじんもありませんでした。

誰かに祈られている。そうなんです。確かに誰かが熱いとり成しの祈りを神様にささげていてくださったのです。通院も13回位重ねたとき、内科と耳鼻科の医師から完治を告げられました。その時私は2度とぜんそくにおそわれないとの確信が来ました。イエス・キリスト様は生きておられます。私のいちばん弱いときに背負って私と共に歩んでくださったのです。

今は以前よりも元気になって生まれ変わったような自分自身におどろいています。ご慈愛深い父・御子・聖霊の神様のご恩ちょうの中で、生かされ愛され癒され、何をもってご恩返しができるのか、云(い)うまでもありません。今苦しんでいる人や入院中の人や弱っている人のために神様にとり成し祈ること、神様の御心に添って人生を、イエス様の十字架の上で流して下さった血潮の力を受け乍(なが)ら、一歩一歩仕える者の心で歩みたいと思います。

しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。 コリント人への手紙第二12章9節

「私はあなたの目の前から追われました。しかし、もう一度、私はあなたの聖なる宮を仰ぎ見たいのです。」ヨナ書2章4

もともと私の家はクリスチャンホームで子供の頃は礼拝をしている会堂の横の部屋で遊んでいるような子供でしたが、いつからか家族で教会に行かなくなっていました。

私は中学3年の頃から家にひきこもるようになり、親が離婚し、高校に入学はしたものの学校に行かずに家でひきこもることが続き高校2年の時に中退しました。それからひきこもりの時期が続き、人が怖くなって、自分のことを心底嫌いになり、人生に絶望しながら時間だけが過ぎ、気が付いたら20歳を超えていました。

ある日、上京していた兄が帰ってくることになり、母親と兄と私の3人だけの生活が少しだけ続きました。それから私をフリースクール(社会復帰支援施設みたいなところ)に1年間入所するという話があり、フリースクールに入ることになってそこで不登校の中学生や高校生と共同生活しながら日々を過ごしていた矢先、兄が亡くなりました。

わけがわからなくなり何も信じられなくなり、この世的なものに振り回されたくない気持ちになりました。不安と恐怖のどん底にいて疲れきっているときに、クリスチャンの家族と出会い、教会に導かれるようになって、礼拝に出るようになりました。

聖書もまともに読んだことがなかったのですが教会に来るようになり賛美しているときすごく癒され聖書に触れる機会が増えてくる中で、主に全てゆだねていきたいと思うようになり洗礼を受けようと決意しました。

私はクリスチャンホームで育ちましたが、信徒の交わりで傷つき、教会を離れていました。しかし、いろんな事に行き詰まり、通える教会を探してオイコスチャーチに辿り着きました。

その時はまだクリスチャンへの恐れと赦せない思いを引きずっていて、また傷つきたくないという思いから、人と関わる事を避けていました。

しかし神様は、健全な教会生活、信徒の交わりが持てるように、礼拝や御言葉、ミニストリーを通して何度も「一歩踏み出しなさい」と語って下さいました。

「神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。」 ヨハネの手紙第一 4章20節

最初は「今の私は教会に通うだけで精一杯です」と従えませんでしたが、段々と「今の状態から変わりたい」という気持ちに変わっていきました。

信徒の交わりを課題だと思い始めた時、神様はきっかけを与えて下さいました。妹も一緒の教会へ通うようになり、午後の食事や奉仕に参加するようになりました。妹はすんなりとその輪の中に溶け込んでいきましたが、私は恐れに潰されそうでした。親切に接してくれているのに、自分はそこにいる事が精一杯で、それがもどかしくも、苛立たしくも、悔しくもあり、全部まとめて悲しい気持ちでした。

ある日、信徒の交わりに悩んでいる事を牧師先生に打ち明けると「信徒の交わりが出来ますように、兄弟姉妹を愛せるように、愛を下さい」と神様に求める事を教えて下さいました。

祈り始めると徐々に恐れが薄れ、兄弟姉妹に対する思いが温かくなっていくような気がしました。午後の活動にも緊張せずに残れるようになり、祈祷会やディボーションセルにも参加するようになっていきました。

教会生活が楽しくなってきたある日、ディボーションセルの中でテモテへの手紙第二2章24~26節から深い悔い改めに導かれました。

「主のしもべが争ってはいけません。むしろ、すべての人に優しくし、よく教え、よく忍び、反対する人たちを柔和な心で訓戒しなさい。もしかすると、神は彼らに悔い改めの心を与えて真理を悟らせてくださるでしょう。それで悪魔に捕らえられて思うままにされている人々でも、目ざめてそのわなをのがれることもあるでしょう。」

ここでの「彼ら」が自分の事のように思えて、涙が止まりませんでした。自分が今までどれだけ兄弟姉妹の忍耐と柔和で寛容な心に助けられていたか、また神様がそのような教会や兄弟姉妹を与え、時間をかけてイエス様の体なる教会に繋がれるようにして下さったかを思いました。

悔い改めは一週間以上続き、ありとあらゆる事を必死に悔い改めた後、心に感謝が沸き上がって溢れてきました。そして、兄弟姉妹にこの感謝の気持ちを伝えたい、何かで表したい、スキンシップが苦手な私が思いっきりハグしたいとまで思い、不思議な気持ちになりました。

「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」 ヨハネの福音書8章31~32節

神様の御言葉に従いたいと求める時、必要な物を下さいましたし、どんどん自由になっていきました。

信徒の交わりが本当に楽しくなっただけではなく、変わりたい、成長したいという思いが強くなり、信仰生活も益々恵まれ始めました。

以前は一歩踏み出す事を恐れていましたが、今は神様への期待感でわくわくしています。