私は、ホームスクーリングのクリスチャンホームで育って、12歳の時に洗礼を受けました。でも、いろいろなことに傷ついて、15歳くらいの時から、お腹が痛くなって、心配で、外に出られなくなり、教会にも、たまにですが、やっとの思いで行っていました。そんな中で、神様は私に、「あなたのお腹のことは、わたしが一番心配してる。でも、わたしのために教会に来てくれるのが嬉しい」と、語ってくださり、すごく慰められました。しかし、教会でホームスクーリングを理解してもらえないことや、いろいろな言葉に傷ついて、教会に行かなくなりました。そんな中で、ガーデニングにハマって、まったく人にも会わず、3年くらいガーデニングをしていました。それなりに、充実した毎日を過ごしていましたが、心の中では、教会にも行けなくて、賛美や、声に出して祈ること、奉仕もできない、こんな罪深い自分に、きっと神様はガッカリしてると思ってました。でも、いつもそんな祈りをする時に、神様は私を慰めてくださいました。
そんなある日、突然、まったく面識のないクリスチャンでもない男2人が家に来て、なぜか帰らなくて、その日から、その人達との同居生活が始まってしまい、日曜日はみんな教会に行ってしまうし、お腹の心配よりも、家にいることの方が、怖くて、気まずくて、今の教会に行くことができました。でも、最初は、また、傷つくかもしれない、さばかれるかもしれないと、いろいろな恐れがありました。でも、教会に入って、椅子に座った瞬間に、押し倒されそうなくらいの、すごい油そそぎがあって、神様が、放蕩息子のお父さんのように、私のことをずっと待ってて、喜んで、抱きしめてくださったように感じて、家に帰るまでずっと涙が止まりませんでした。それから、また教会に行くようになって、神様はいままで苦しかったことを、忘れてしまうくらい、たくさん恵みや癒しを与えてくださいました。
本当に苦しい状況の中で、アンテオケミニストリーに行って、異言が与えられて、言葉にだして祈れない私にとって、異言で祈れることは、すごい喜びで、慰めで、それから、だんだん賛美や、言葉も少しずつ解かれてきて、異言で祈る中で、神様が、毎日たくさん油注ぎを与えてくださって、困難を乗り越えることができました。お腹も、神様が癒してくださり、前は、お風呂に入るのも、散歩に行くのも、車に乗るのも、気絶しそうなくらいプレッシャーだったのに、毎週教会に行ける恵みを与えてくださり、車の免許までとることができました。
前は、人の言葉で半年くらい落ち込んでいたわたしが、そんなに落ち込まなくなり、今は、神様の一言で、すぐに立ち直ることができます。ずっとしていたガーデニングも、神様が用いてくださり、今年は、夢だったオープンガーデンもすることができました。賛美も、子供のころから人前では絶対に歌えない私が、教会で賛美をすることができました。信徒の交わりや、教会に行くことも、前は苦しくて、ただ安心して行ける教会を求めていましたが、神様は、私が願っていた以上のものを与えてくださり、いまは、みんなに会えるのが嬉しくて、交わりも楽しくて、日曜日が待ち遠しいくらいです。神様は、一番良いタイミングで教会に行かせてくださり、最悪の事態も、神様は、教会に行ける荒療治に用いてくださり、一番苦しい状況の中でも、神様は慰めや喜びを豊かに与えてくださいます。ハレルヤ!
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私達は知っています。」ローマ人への手紙8章28節