証(あかし)2022

今月は、救いの証です。

 

私はクリスチャンホームで育ちました。幼いころはその環境に疑問は感じていなかったのですが、学校などで周りと違うことで嫌な思いをすることが度々ありました。

また私は神様に興味がなかったので、信仰はなく、聖書のこともよく分からないし、礼拝はつまらないものでした。そして洗礼を受けていないことを指摘されるたびにいつも卑屈な思いにさせられていました。

そうして「世の中の人とも違う」し、「教会の人たちとも違う」と思うと、自分のいるべきところにいないような不安定な気持ちでした。

やがて大きくなると、死ぬのが怖いと思うようになりまた。クリスチャンたちは「天国に行けるから死ぬのが怖くない」と言います。「自分もいつかそうなるのかな、あんな平安がほしいな」と思っていました。それで私はがんばって、みんなの真似をして祈り、賛美し、聖書を読みましたが、何も変わりませんでした。

そのうち「神様はいるだろうけど自分には神様は来てくれない。自分はだめな子だから救われない」と、挫折感を感じるようになりました。そして教会にはまったく行かなくなりました。

高校卒業後、親元を離れて一人暮らしをするようになりました。新しい教会なら何か変わるかもしれないと、何度か教会へ行きましたが、続きませんでした。次第に「神さまとは出会えない運命だから」と思うようになりました。そして、ついに神様について考えるのをやめてしまいました。

私はいつも自信がなく不安でした。人生にも希望が見いだせず流されるまま、外面を良くしては、行き当たりばったりの毎日を過ごす日々が何年も続きました。

そんなある時、教会のコンサートに誘われました。そのコンサートや教会の雰囲気が心地よく、また教会に通うようになりました。この時は今までと違い、礼拝で賛美するとなぜか涙が出るのです。最初は子どもの頃に教会に通っていたことを思い出して感傷に浸っているのかと思いましたが、違いました。小さい頃に感じていた恐怖や悲しさは全くなく、本当にただただ涙が出てきました。私はついに神様に触れられ、出会うことができました。私の中で霊が大喜びしたのです。

今思えば、これまで何回も神様に出会うチャンスが用意されていましたが、私はいつも自分を変えず、「平安だけ欲しい」と思っていて、神様による救いを求めていませんでした。そして自分の思い通りに行かないことを周りの人や環境、教会のせいにしていました。でも本当にしんどくて、むなしい日々が続いて「こんな自分を変えたい!」と思った時に、神様が手を差し伸べてくださったのです。

私は救われて、生きることが少し楽になりました。こんなことなら、もっと早く神さまに出会いたかったと思うこともありますが、性格からして、追いつめられないと信じることができなかったと思います。自分では「もう立ち直れないんじゃないか」と思うようなことがあっても、神様はぎりぎりで救い上げてくれます。

今まで根無し草のように、ふらふらと生きてきた私はイエス・キリストを通して、ついに神様の山に植えられました。これからは、しっかりと神様に根差して、一歩一歩、歩んで行きたいと思います。

今月は、新しく一歩踏み出す時に神様を体験した方々の証です。

◎神様を体験した証

神様の導きにより、引っ越しを伴う新しい歩みに踏み出しましたが、予定通りに行かずに嘆いていました。涙を流し「神様の道を歩んでるのに何故?約束が違う。どうしたらいいのですか…」と文句の様な言葉を吐きました。その時、神様から「賛美しなさい」と繰り返し語られました。最初は「こんな時に賛美できない」と思い、歌えませんでした。しかし、神様は何度も語られました。仕方なく、私はやけくそ賛美をしました。机を叩きながら、悪態をつく様に「全てに感謝しよう…」と賛美しました。賛美し続けるうちに、喜びが沸き上がってきました。最後には、喜んで感謝して賛美していました。問題は問題ではない、と平安な気持ちになりました。その後、問題も直ぐに解決しました。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケ人への手紙第一 5章 16〜18節)を改めてうけとりました。

 

◎神様を体験した証

私は駅で鞄を忘れ、盗まれてしまいました。その中には身障者手帳・ペースメーカー手帳・タブレット端末・現金などが入っていました。届け出をして、何とか目的地に行き、当初の目的を果たすことができました。手帳の再発行には通常数日かかるそうですが、翌日には発行してもらえました。タブレット端末も悪用されないように手続きに行ったら、担当者が色々調べてくれ、むしろ得になる契約を教えてくれました。すべてを失ったように見えても、権利は何一つ奪われませんでした。すべてを益とされる神様に感謝します。

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ人への手紙8章28節)

◎神様を体験した証

ボイストレーニングに通うようになり、疲れにくくなり、家で賛美したり、聖書の音読もできるようになりました。当初の目的は歌の上達のためでしたが、思わぬ方向から、意図せず必要以上の恵みを体験し、神様のご計画の大きさを感じました。

 

◎神様を体験した証

私たち夫婦の家族に様々な問題が起こり、その対応は戦いでした。しかし一番大切なことに気づきました。それは、置かれた現状を、失望しないで、主(神様) に信頼して、主(神様)と歩むことだと。失望・批判・疑う心は、神様から離れ、神様の導きや力を得られなくするからです。神様と歩む喜びが私たち夫婦を生かし力づけました。「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ、いのちの泉はこれからわく。(箴言4章23節)」

また、失われたように見えることではなく、与えられている恵みに目を留めて、主(神様)に期待して歩むことで、問題が早く解決しました。「信仰の創始者イエスから目を離さない(へブル人への手紙12章2節)」ことの大切さも体験しました。

◎神様を体験した証

飛行機で出かけることになっていた日の朝6時前、鍵を持たずにゴミ出しに行き、オートロックがかかって、部屋に戻れなくなりました。最初は、誰か出てこないか待ったり、何とか開かないか考えたり色々しましたが、落ち着いて神様に祈ることにしました。すると、不動産屋さんに電話することを思いつきました。早朝にも関わらず、電話がつながり、大家さんからスペアキーも借りられ、部屋に戻れて、飛行機にも間に合いました。神様と、助けてくれた方々に感謝します。

◎神様を体験した証

ある日、仕事の後にクリスチャンの友達と会うことになっていました。しかし仕事が終わる直前にクレームが入り、嫌な気持ちになりました。友達と会う気分もなくなりましたが、約束していたので会いに行きました。すると、友達も職場で色々あってこころ重く来たと打ち明けてくれました。二人で話しているうちに、突然友だちが「思い出した!」と言いました。それは以前、牧師が語ってくれた、神様からの励ましの言葉でした。話しながら友達は神様の励ましに号泣しました。それを見た私も、神様の愛の素晴らしさに触れて泣きました。「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。(マタイ18:20)」