3月の証(あかし)~M.Sさん~

私はクリスチャンホームで育ちましたが、信徒の交わりで傷つき、教会を離れていました。しかし、いろんな事に行き詰まり、通える教会を探してオイコスチャーチに辿り着きました。

その時はまだクリスチャンへの恐れと赦せない思いを引きずっていて、また傷つきたくないという思いから、人と関わる事を避けていました。

しかし神様は、健全な教会生活、信徒の交わりが持てるように、礼拝や御言葉、ミニストリーを通して何度も「一歩踏み出しなさい」と語って下さいました。

「神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。」 ヨハネの手紙第一 4章20節

最初は「今の私は教会に通うだけで精一杯です」と従えませんでしたが、段々と「今の状態から変わりたい」という気持ちに変わっていきました。

信徒の交わりを課題だと思い始めた時、神様はきっかけを与えて下さいました。妹も一緒の教会へ通うようになり、午後の食事や奉仕に参加するようになりました。妹はすんなりとその輪の中に溶け込んでいきましたが、私は恐れに潰されそうでした。親切に接してくれているのに、自分はそこにいる事が精一杯で、それがもどかしくも、苛立たしくも、悔しくもあり、全部まとめて悲しい気持ちでした。

ある日、信徒の交わりに悩んでいる事を牧師先生に打ち明けると「信徒の交わりが出来ますように、兄弟姉妹を愛せるように、愛を下さい」と神様に求める事を教えて下さいました。

祈り始めると徐々に恐れが薄れ、兄弟姉妹に対する思いが温かくなっていくような気がしました。午後の活動にも緊張せずに残れるようになり、祈祷会やディボーションセルにも参加するようになっていきました。

教会生活が楽しくなってきたある日、ディボーションセルの中でテモテへの手紙第二2章24~26節から深い悔い改めに導かれました。

「主のしもべが争ってはいけません。むしろ、すべての人に優しくし、よく教え、よく忍び、反対する人たちを柔和な心で訓戒しなさい。もしかすると、神は彼らに悔い改めの心を与えて真理を悟らせてくださるでしょう。それで悪魔に捕らえられて思うままにされている人々でも、目ざめてそのわなをのがれることもあるでしょう。」

ここでの「彼ら」が自分の事のように思えて、涙が止まりませんでした。自分が今までどれだけ兄弟姉妹の忍耐と柔和で寛容な心に助けられていたか、また神様がそのような教会や兄弟姉妹を与え、時間をかけてイエス様の体なる教会に繋がれるようにして下さったかを思いました。

悔い改めは一週間以上続き、ありとあらゆる事を必死に悔い改めた後、心に感謝が沸き上がって溢れてきました。そして、兄弟姉妹にこの感謝の気持ちを伝えたい、何かで表したい、スキンシップが苦手な私が思いっきりハグしたいとまで思い、不思議な気持ちになりました。

「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」 ヨハネの福音書8章31~32節

神様の御言葉に従いたいと求める時、必要な物を下さいましたし、どんどん自由になっていきました。

信徒の交わりが本当に楽しくなっただけではなく、変わりたい、成長したいという思いが強くなり、信仰生活も益々恵まれ始めました。

以前は一歩踏み出す事を恐れていましたが、今は神様への期待感でわくわくしています。