♪今回はオイコスチャーチに来られたことのある方の証をご紹介します。
牧師に従順することが神さまの喜ばれることだと、私は身を持って体験しました。「従順するって、牧師の奴隷になりたくない、牧師が間違っていたらどうするんだ!」と思っていました。「神さまにはもちろん、従いますよ。でも牧師が明らかに間違ってますよ。」傲慢にもそう思ったこともありました。
私たちの教会は数か月前までは、まさに殺伐として、信徒と牧師が真っ二つに割れかけていました。しかし神さまが介入しました。私の教会の牧師が、ある人をみんなの前で叱りました。言われていることは間違ってはいませんでしたが、かなりひどいことを言われていました。しかしその後、牧師はそのことを通して神さまの前にへりくだり、悔い改め、神さまの愛を受けて変えられました。私から見ると全くの別人に変わりました。今は信徒と牧師の関係もすごく良くなっているように思います。
今でも牧師は「それは違うんじゃない?」と思うことを言われることがあります。でも「はい」と従順し黙って聞いて待っていると、神さまがちゃんと必要な軌道修正をして下さいます。私が「牧師がやろうとしていることはいいと思うけど、やり方がこの教会の人達には合わないのでは…?」と思っていると、次の日あたりに牧師が「これからはこうします。」とやり方を変えることがありました。神さまは生きておられるから、必ず教会にとって良いことをして下さると信じることが大事だと分かりました。
「牧師に従いなさい。」というのが神さまの命令なら、従うべきで、その命令を守れば、神さまは必ず責任を持って下さることがわかりました。牧師が「それはどうかな?」と思うことを言われたら、神さまに祈ること、とりなすことです。神さまがそれを喜ばれるということを今は体験しています。そして、そのことを悟る人が増えていけば、神さまがその教会を祝福するのだと思います。
また、誰の目から見ても「今それをするのは違うんじゃない?」と思うことを牧師がしようとしたことがありました。ところが、別のところから来られた牧師が、ご自分の教会がリバイバルした例として、これから私たちの牧師がしようとしていることを話して下さいました。その時、多くの信徒の方が正しく見えても、霊の世界は違うのだ。だから霊的なリーダーに従わなくてはならないのだと気づかされたのです。
私と牧師とは、人間的に見れば相性は全然合いません。仮に信仰がなくても友だちになってたかも…と思うクリスチャンもいますが、私の牧師は絶対に仲良くならないタイプです。でも人間的に好きなタイプでなくても、神様の霊で一致し、共に歩める、これが神さまの御業なのだと思います。牧師に反抗することは神さまの権威と戦うことだとも、聖書を通して知りました。油注がれた牧師には、大きな責任も任されているのだから、私たちは反抗するのではなく、祈り、助けることが使命なんだと思います。