6月の証(あかし)~K.Sさん~

 「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」コリントⅡ5:17

高校2年生の時、私は、極度の神経症・対人恐怖症のため、学校を中退しました。

中退してからは、自分だけが世の中から取り残されてしまったような、大変な孤独感を感じていました。昼間は人目が気になって外に出られず、夜中に外に出ては星を眺めながら、「自分は一体何のためにこの世に生まれてきたのだろう」「なぜこの時代に、また、よりによってなぜこんな両親の元に生まれてこなければならなかったのだろう」「もしこのまま世の中に出ることもできず、一生が終わるとしたら、自分が存在したことに何の意味があるのだろう」「もしこの世に神という存在があるのなら、なぜ私をほっとくのだろう」「本当に神様がいるのなら早く私をここから救い出してください!」と心の中で叫んでいました。

先の見えない生活に耐えられず、親を殺すか自分が死ぬか、しかしこのまま死んでしまうのが悔しいのと、死んだ先がどうなるのかわからないという葛藤の中、ギリギリの状態で踏みとどまっていました。

そんなある日、ひとりの牧師がわが家を訪ね、病気の母に熱心に伝道を始められました。

「イエス・キリストを信じれば救われる」「変えられる」「病気も癒される」ということを、ご自身の体験や聖書から熱心に説いておられました。ひきこもりで挨拶もできなかった私は、その話を隣の部屋でじっと聴いていました。 その牧師は、18歳の時から10年間、肺結核で入院生活をしていたところを、宣教師の導きによってイエス・キリストを信じ、救われ、癒されたこと。そして、この素晴らしい神様を伝えるために牧師になったことなどを証しされていました。

埋もれていた人生がイエス・キリストを信じる信仰によって完全に解放される。その体験を聴きながら、いつしか自分も一度教会へ行ってみたいと思うようになっていました。

1970年4月28日、ひとりで教会へ行く勇気がなかった私は、私と同じくひきこもっている兄を誘ってみました。『俺たちがこのまま、こんな生活を続けていても一生うだつが上がらない。集会に行ってみて、変えられたら儲けもの、もし変えられなかったとしても、それでもともと、それなら行くだけは行ってみよう』と二人で特別伝道集会へ出かけました。

二日目の晩に私も兄も、イエス・キリストを自分の救い主と信じ、従う決心をしました。その2ヶ月後には、母と兄と私の3人が同時に洗礼を受けました。後に他の兄弟達も次々に全員洗礼を受けました。初めは反対し迫害していた父も、6年後に胃癌がきっかけとなり、残りの人生をイエス・キリストに明け渡し、教会の会計を20年務めました。

イエス・キリストを自分の救い主と信じてから、様々な困難や試練の中を通りながらも、神様がともにいて助けてくださったので、20歳で高校を卒業することができました。社会人としても39年間、建築の仕事に携わることができました。

かつては6人兄弟の中で、両親に最も逆らった私でしたが、両親が晩年になってからは、私を一番頼りにしてくれたこと、また両親が天に召されるまで、精一杯お世話をすることができたことは、ただ神様の恵みと憐れみによるものだと思っています。

また私のようなものは、一生結婚どころか恋愛もできないと思っていましたが、34歳の時、結婚の道が開かれ4人の子供にも恵まれました。神様が与えられたこの家族を、神様がさらに祝福してくださり、神様の栄光を現す存在として、用いてくださるようにと日々願っています。