11月の証(あかし)~鈴木さん~

ハレルヤ。主の御名をほめたたえます。

オイコスチャーチ建堂5周年、主の圧倒的な守りの中で、今日を迎えられたことを、主に感謝致します。私はオイコスチャーチに通うようになって、もうすぐ8ヶ月となります。主の導きにより、オイコスチャーチに通えるようになったことを、心から主に感謝します。

本日は、私がオイコスチャーチに通うようになった頃、主がして下さったことをお証したいと思います。当時、私には、大切な彼がいました。彼は、優しく、真面目で、朗らかで、いろんな才能をもっていました。彼と多くの時間を共有し、思い出も沢山できました。お付き合いが長くなるうち、結婚も視野に入れるようになりました。私の両親と彼、彼の両親と私の間にも良好な関係が築かれつつありました。将来の話も少しずつ進み、日常は仲良く過ごせていたのですが、ある話題になると激しくぶつかり合うようになりました。普段が仲良しだったので、ぶつかってしまうことにとても苦しさを覚えました。どうして分かってくれないのだろう、と悩むようになりました。

ぶつかった話題とは、信仰のことです。彼もイエス様を信じてはいましたが、互いの目指す方向にすれ違いがあることが徐々に分かってきました。彼と信仰において一致ができるよう、何度も何度も祈りました。結婚して、同じ方向を向いて日々を送りたい、と必死に祈りました。しかし、どんなに祈っても、彼との溝は埋まりませんでした。主が彼も愛し、私も愛して、この2人での結婚は御心ではないのだよと教え続けて下さっていたのですが、その時はなかなか気付くことができませんでした。また、結婚することの意義・重みを十分に知らず、憧れの気持ちが先立っていたようにも思います。

ある日、信仰のことで再び激しくぶつかり、私の家に来ていた彼は怒り散らして部屋を飛び出していきました。怒った彼の形相が怖かったのと、心の内にある信仰には揺らぎがないのとで、自分の中で混乱を生じてしまいました。泣きながら、震えながらしばらく過ごす中で、祈り、聖書を読む時間が与えられました。そして、次の御言葉に出会いました。「主なるわたしは正義をもってあなたを召した。わたしはあなたの手をとり、あなたを守った。(イザヤ書42:6、口語訳)」この御言葉を読んだ時、今まで持ち続けていた不安や心の中の混乱がさっと取り去られました。それまでも聖書を読んではいたけれど、なんとなく読んでいた感じで、こんなにも感動をもって御言葉が迫ってきたのは久しぶりでした。嬉しくて、示された御言葉をアーメンで受け取りました。

それ以降、別れ話を伝える日まで、彼に会わずに過ごすこととなりました。一人の時間が多くなり、寂しさに耐えられるのか心配でしたが、その寂しささえ知っておられる主は、いつも慰めを下さり、不思議な平安が臨みました。時には泣くこともあったけれど、泣くだけで終わらず、「主よ」と呼ぶ時、主はいろんな方法で語りかけて下さいました。主は遠くから見守っておられたのではなく、近くに、側にいて下さったのです。主はいつも側にいて下さったのです。こんなにも近くにいて下さり、語って下さっていたのに、今までは主の語りかけを求めず、自己中心であり、主よりも彼と過ごす時間を優先していたことに気付きました。自分の信仰の足りない部分に気付かされ、「私が彼によって受けた痛みの、その何倍もの痛みを主は私から受けながらも、愛し続けて下さっていたのだ」と分かりました。

このことを通して、主と私の関係の回復が始まっていきました。主の愛と憐れみによって、ここまで、癒され、強められ、主に喜ばれることを願う自分へと変えられていきました。私がイエス様の十字架と復活を信じ救われたのはかなり前ですが、救われてしまえば完了するのではなく、救われてからが始まりであり、さらに、主を第一にし、「主に喜ばれる者になりたい」と心から願うようになるとき、主の深い介入が始まるのだと分かりました。私がどんな状態であっても、待ち続けて下さり、愛し続けて下さり、これからも変わらぬ愛で愛して下さる主に心から感謝します。そして、まだ残っている不十分な部分も、主との交わりを通して、御言葉を通して、教会生活を通して、日々主が取り扱い、整えて下さることを信じ感謝します。

あなたは、私のいのちを死から、まことに私の足を、つまずきから、救い出してくださいました。それは、私が、いのちの光のうちに、神の御前を歩むためでした。(詩篇56:13

ハレルヤ。全ての栄光を主にお返し致します。