科学が進化論を否定する時代
~癌免疫研究の経験から感じたこと~
今回、私自身の癌免疫研究の経験や最新の癌免疫治療薬などの知見を通して、私が感じ取った聖書的な悟りのようなことを説明し、進化論に関する疑問を呈することに致します。
癌という病を治療する為の三大療法があります。ⅰ)手術、ⅱ)化学療法、ⅲ)放射線療法です。それに加えて免疫療法を加える人もいます。私は1995年から1997年ぐらいまで大分県別府の九大生体防御医学研究所において、人に備わった免疫力で癌を撃退する癌免疫療法の研究を行っていました。
人は自身の組織や細胞と、細菌やウイルスなどの異物を見分けて駆逐し撃退する精巧なシステムを備えています。免疫力です。この免疫力が誤った方向に暴走すると、自分自身を異物と認識し自分の生体組織を攻撃し重篤な症状を伴う膠原病などを引き起こします。そうならないような複雑な仕組みがあるわけです。そこで、もし、人本来に備わった免疫力によって癌細胞や癌組織を異物と判断して体から駆逐できれば、人は癌を自力で撃退していけるはずです。そう考えた先人達は様々な免疫療法を編み出してきました。しかし、臨床効果はいま一つだった為、免疫療法は癌治療のメジャーな方法として中々数えられませんでした。
一部の研究者達はこう思いました。そもそも、人間は癌細胞や癌組織を異物として認識できないのではないか?だから、癌免疫療法などという治療法は元々不可能なのであると。しかし、私がこの研究に身を投じていく数年前に、この癌免疫治療の世界で画期的な発見が起こっていました。人間は一部のがんを異物として認識していることが遺伝学分子生物学的に明らかにされ、さらに異物として認識する仕組みが解明されつつあったのです。そんな時に、研究を開始する幸運に私は恵まれたのでした。
免疫を司る免疫細胞は血液の白血球中に存在し、T細胞やB細胞などのリンパ球、ナチュラルキラー細胞、単球、マクロファージ、樹状細胞(DC)・・・といったものがあります。これらが固有の役割を果たし相互に情報交換しつつチームとなって癌を駆逐していきます。
癌免疫についての仕組みを詳しく論ずることは限られた紙面で少々難しいので、分かりやすく例えで説明することにします。それは、水戸黄門に見られるチームプレイです。私にとってなじみが深いのは、東野英治郎の水戸黄門ですので、彼らのチームプレイを例にとることにします。まず、黄門様御一行は悪代官や越後屋などといった悪者たちの悪だくみで悲しみを背負った被害者たちと出会います。深く同情した彼らは何故このような悲劇が起こったのか、首謀者は誰なのか・・・といった調査をはじめます。この時、風車の弥七、由美かおる演ずる、かげろうお銀、うっかり八兵衛・・などが事実関係を確認し黒幕を突き止めていきます。その上で、チームで悪代官の屋敷に乗り込んでいきます。主に助さん角さんたちの武芸でもって悪党どもがこらしめられ、pm8時44分ぐらいでしょうか、お馴染みの徳川家家紋が入った印籠が出てきます。裁きが下され、めでたしめでたしとなるのですが、このような一連のチームプレイが癌免疫の世界で起こっています。癌がどこにいるか、そして、癌の顔を識別し、また、ある細胞は癌を貪食し、癌の特徴であるペプチドを細胞表面に提示して、これが癌だと教える細胞(抗原提示細胞)もいます。その情報を受け、その癌細胞のみを攻撃できるリンパ球が自分の数を増やし、がん細胞を取り囲んで攻撃していくのです。
私が行った研究は次の様なものでした。確かに健常人は癌を識別する免疫能力があるかもしれない、しかし、既に癌に罹っている人は癌を識別する能力がない為に癌の病が進行しているのかもしれない。では、癌に罹っている患者様の末梢血リンパ球から癌を識別し攻撃できるリンパ球は作れるのだろうか?というテーマでした。そこで、実際に、癌の患者様にご協力いただき、末梢血リンパ球を頂戴して癌細胞を識別し攻撃する細胞を作成しました。これによって、癌に罹患している患者様も癌細胞を識別し攻撃できるポテンシャルがあることが判明しました。この仕事で私は医学博士号を取得いたしました。その後、教授の指導の下、日本で初めてDCワクチンによる癌特異的免疫療法の臨床試験に従事しました。この治療法は患者様のQOLの向上には大きな成果があったものの結果的に根治には至りませんでした。がんの免疫治療に大きな意義を感じつつも、免疫力でがんを治療することの難しさを感じつつ、私は実家のある福岡の病院に帰り地域医療に参画しました。
今まで、多くの医療従事者は免疫療法なんて効かないと思っていました。ところが、つい最近、癌免疫治療の分野で画期的なことが起こっていました。2016年5月号の文芸春秋に、立花隆師による癌免疫治療の特集記事(「がんを消す免疫薬の真実」)が掲載され、ニボルマブ(商品名オプジーボ)という非常に効果のあるがん免疫新薬が紹介されていました。この記事で彼自身が述べていますが、彼も免疫療法なんか効かないと思っていたようです。この新薬は現京大名誉教授本庶佑(たすく)先生が発見した日本発の新薬です。
この免疫薬の作用機序を簡単に示すと次の様になります。本庶師の研究チームはPD-1という細胞表面に存在している分子を発見しました。このPD-1という分子は、免疫細胞の細胞膜表面上に存在し、免疫細胞に「攻撃ストップ」を命じるブレーキのような働きを持つ分子です。免疫力が暴走して膠原病のような体に重篤な害を及ぼさない様に、ブレーキの機能を持つかぎ穴に相当する分子と思われます。必要に応じて、別の細胞の細胞膜上にカギに相当する分子(PD-L1)が出現し、このブレーキ機能を持つかぎ穴分子PD-1に結合し、それによって免疫暴走を防ぐように生体はコントロールされていると思われます。ところが、がん細胞も中々狡猾で、免疫細胞からの攻撃にさらされると、がん細胞の細胞膜上にブレーキを踏むことのできるカギに相当する分子PD-L1分子を細胞膜表面上に出現させたり、他の未知の仕組みで免疫細胞の攻撃をストップさせることが分かってきました。がん細胞が人の免疫監視機構をすり抜け際限なく増殖できるのは、この免疫細胞の攻撃にブレーキをかける分子PD-L1をがん細胞の細胞膜表面上に持つことのできる仕組みを持っているからであるということが分かってきたのです。それならそれで、もし免疫細胞の攻撃にブレーキがかからない様に細工できればがん細胞に対する攻撃を持続できると考えた本庶師チームは、免疫細胞膜上に存在するブレーキ機能を持つPD-1分子を被い、カギの機能を持つ癌細胞のPD-L1分子が結合できないようにブロックする新薬を考え出しました。これが新薬「ニボルマブ(商品名オプジーボ)」です。PD-1分子に結合する抗体で免疫チェックポイント阻害剤と呼ばれる新しいタイプの薬です。
この薬によって、劇的な臨床効果が出現しはじめているという報告が相次いでいます。しかも、手の施しようがない末期がんの患者さんたちにおいて、二年以上がんの大きさが変化しなかったり小さくなる人もおり、また、寿命も延長したケースが報告されています。実際、これだけ効果が長続きすることは従来の抗がん剤化学療法ではなかったことでした。何故なら、化学療法は分裂が活発ながん細胞に作用する訳ですが、一方で分裂増殖を繰り返す正常な細胞にも悪影響をもたらす為、患者様の体に大きな負担かけていました。この新薬と化学療法との間に生存率の明確な差が認められた為、その劇的な治療効果故に、今まで軽視されていた癌免疫治療に世界中の多くの医療従事者が驚いたのは当然のことです。2012/6/2付「ウオール・ストリートジャーナル」は一面で「人類とがんの長い戦いに終止符を打つ期待の最新研究が始まった」と報じました。また、米国やヨーロッパでは大変な話題となりましたが、日本ではあまり取り上げられなかったそうです。しかし、この治療法には難点があります。それは、薬価が非常に高いのです。一回あたり73万円かかると言われています。保険適応があれば高額医療としての補助が返ってくると思われますが、保険適応外のがんに使った場合は、年間千五百万円という試算もあるとのことです。
今回、がん免疫治療について触れたのには理由があります。免疫とは所詮カギとカギ穴の関係であると言い切った研究者がいます。どういうことかと言うと、細胞性免疫という分野でいえば、細胞膜上に浮かんでいるタンパク質でできたカギのような作用をもつタンパク構造物が、別の細胞膜上に浮かんでいるもう一つのかぎ穴の作用を持つタンパク構造物に結合し、刺激や情報が伝わり、さらに細胞内部奥深くにまでその刺激が伝えられていく・・・。このようなパターンは免疫の世界だけでなく、あらゆる酵素反応や様々な分子生物学的反応過程において、認められる刺激伝達システムです。アミノ酸が延々とつながって構築されたかぎ穴の働きを持つタンパク構造物とカギの役割を持つたんぱく質、もしくは様々な物質。細胞が生存し増殖していく為にはこのようなほぼ一対一の対応のセットが無数に存在しています。
そこで、さらに素朴な疑問が湧いてきます。カギ状のタンパク構造物や物質はどうやって細胞膜に浮かんでいる数多くのかぎ穴のタンパク構造物から自分にあったかぎ穴を探し当てるのだろうか?そして、どのようにして結合していくのだろうか?また、次の様な疑問も浮かびます。一個のアミノ酸が延々と結合して造られるタンパク構造物のアミノ酸配列の可能性は無数でしょう。その中で、カギとかぎ穴のタンパク構造物として一対一のセットで発生していく組み合わせが偶然に出来上がる可能性は非常に低いはずです。しかも、そのセットは一組だけではなく無数です。一組のカギとかぎ穴の構造的組み合わせが偶然に発生し、さらに、そのセットの数を徐々に増していくとは中々考えにくいと思います。たとえ、可能だとしても、それをはるかに上回る不完全なセットが無数に同時に出来上がっているかもしれません。免疫反応だけでなくあらゆる酵素反応においても、数千から数万種類にわたるカギとカギ穴で結合していくタンパク構造物が造られており、これらが細胞内外に刺激を伝え、様々な反応経路で複雑で無数のネットワークが構築されている。・・・もしかすると、一個の単純な細胞と言えど、我々の理解を遥かに超えた情報認知能力を持っているのかもしれない・・・。様々な疑問が湧きあがってきます。さらに、カギとカギ穴の根源的発生について考えるならば、カギとカギ穴の蛋白構造物が発生し出現する為には、まずデジタル情報であるDNAなどの遺伝子情報に塩基配列としてその設計図が書き込まれているはずです。一組のカギとカギ穴タンパク構造物の塩基配列がどうやってセットで遺伝子情報に書き込まれ、蛋白構造物として必要に応じて生み出さていくのだろうか?そのような複雑な仕組みが果たして、進化という偶然の連続で発生しうるのだろうかという素朴な疑問にたどり着きます。
進化論に話を戻します。ダーウィンは次の様に考えました。「一匹のアメーバのような単細胞生物がこの地球上に突然生まれ、何億年か何十億年の間に突然変異を繰り返して進化を続け、人間になっていったのだ」と。このような仮説を実証しようとして証拠を集め、進化系統樹なるものまで出来上がってきました。分子生物学をかじった私は、このような緩やかな進化という変化に中々納得出来ないでいます。
例えば、赤血球に結合して酸素を運ぶヒトヘモグロビンは2個のα鎖と2個の非α鎖(β、γ、δ鎖)からなる四量体です。合計574のアミノ酸が結合して出来ていると言われています。ヘモグロビンの構造が正常なら赤血球は中心がややくぼんだ円盤状になりますが、アミノ酸がたった一か所、グルタミン酸であるところが脂溶性のバリンに変わってしまうと、円盤状のはずの赤血球は鎌の刃のようないびつな形となり、酸素をうまく運べず重篤な貧血症状を呈してしまいます。これが黒人に多い鎌状赤血球症という遺伝病です。全てがそうであるとは言い切れませんが、アミノ酸がたった一個置換されただけで赤血球の構造や機能が大きく変わっていく程、タンパク質の構造と機能は極めて微妙です。ただランダムに乱雑にアミノ酸が結合しただけでは有意義な機能を持つタンパク構造物が出来上がるとは限りません。酵素や生体を形作るタンパク構造は極めて精巧で緻密で正確な配列が必要不可欠です。
ですから、分子生物学的レベルにおいては、進化論的にアミノ酸の偶然の変化の連続によって、徐々に構造が微細に変化していくとか、次第に変化してより優れた構造に変わっていくというような理屈は適応できないと私は考えています。さらに、実際にタンパク構造が変化していく為には、設計図である遺伝子の塩基配列から具体的に変化していかねばなりません。一個でも塩基配列やアミノ酸が変化すれば、鎌状赤血球症のような予想外の構造上の変化が生じる可能性があります。このような背景を元に考えていくならば、カギとカギ穴のタンパク構造物がセットで無数に存在し、しかも、その構造物の情報がデジタルの塩基配列としてDNAに書き込まれているという事実は私にとって驚きであると同時に、徐々に優れた形態と機能に移行していくという進化論的仮説には無理があると思われるのです。
デジタル情報の変化についての例ですが、パソコンの立ち上がりが早くなる様にユーザーがパソコンにとてつもなく長い期間念じつつ操作し続けたら、パソコンの立ち上りは早くなるでしょうか?ユーザーが念じ続けて使い続けることによってパソコンの進化が自然に起こるのだろうかということです。立ち上がりが早くなるためにはメモリを増やすか、デジタルであるプログラムが根本的に書き換えねば立ち上がりは早くならないでしょう。もしかすると、プログラムの書き換え変更によって別の問題が起こりフリーズが発生しやすくなるかもしれませんし、予想外のトラブルが発生するかもしれません。デジタル情報の変化というものはこのようなものだと思われます。同じように、デジタル情報である塩基配列が変化し蛋白構造が変わっていく時、蛋白構造が徐々に変化してより高い機能をもつ蛋白構造に進化していくという考えには、鎌状赤血球症の例で見るように、無理があると私は思っています。進化論という仮説では、細胞が偶然に発生したという出発点から無理があると思われます。何故なら、無数のカギとかぎ穴タンパク構造物のセットが存在すること、これがデジタル情報として設計図であるDNAに塩基配列として前もって書き込まれていること、また、数えきれないほどの蛋白構造物からなる細胞の存在が偶然に発生したとは到底考えられないからです。
宇宙物理学者のフレッド・ホイルは次のようなことを語っています。「突然変異で、今ある遺伝子情報のように複雑で整然としたシステムが出来る確率は、竜巻がごみ屑を巻き上げたらジェット機ができたというようなものだ。」と。進化によって生命がこの地上に偶然に発生することはありえないと私も思います。免疫という分野だけでも、カギの役割をする蛋白構造物とそれにぴったりと一致する一対一のカギ穴的蛋白構造物のセットが無数に存在し、これがデジタル情報である塩基配列としてDNAに前もって書かれており、さらに、これらのタンパク構造物が調和を保って存在しているという事実が起こりうるには、あらかじめデザインされた、即ち、Something greatなるお方によってあらかじめ設計されシュミレーションがなされて創造されたに違いないと考える方がはるかに論理的であるように私には思えます。
ところが、実はこのような考えを持つ人達は私だけではなかったことに気付き励まされました!進化論を放棄していった良心的な学者たちが多数いたのです。アブラハムささき師が御自身のブログの中で次のように記しておられます。
「かつては、「棲み分け理論」 で世界的に有名な進化論学者であった文化勲章受章者の「今西錦司氏」(京大名誉教授)は、研究すればするほど進化論の矛盾に気づき、ついには研究を断念して、なんと、自ら 「科学者廃業宣言」 を新聞に発表したのです。「進化論は学問にあらず」 と言いたかったのでしょう。今西教授は、非常に良心的な科学者であっただけに、間違った学問を教えてきた者としての責任を取ったものと思われます。アメリカではハーバード大学の教授を含むトップクラスの進化論学者たちが、次々に進化論の研究をやめて、他の学問に転向しています。そのリストは、わかっているだけで30人を超えています。こんなことは学問の世界ではあまりないことです。遺伝子工学の世界的権威の「村上和雄氏」(筑波大名誉教授)も、真っ向から進化論を否定する一人です。一つの遺伝子に組み込まれている膨大な量の情報を研究しているうちに、「進化論は絶対にありえない」 という結論に到達しました。神と言いうるほどの 「サムシング・グレイトの存在」(なにか超偉大な知性の存在)により創造されたことを認めなければ、遺伝子の説明は不可能であるというわけです。」 (アブラハムささき師のブログより抜粋」
かつて、NHKの分子生物学特集番組だったでしょうか、山中伸弥教授のコメントを聞いている時、「あれ、この方は進化論者じゃなさそうだな・・・」と思った瞬間がありました。この感覚は事実だったようで、アブラハムささき師は御自身のブログの中で、山中伸弥師と益川敏英師の対談に触れ、<『ヒトは猿から進化したのか、それとも神が造ったのか』 と聞かれれば、日本人はなんとなく 『猿から進化』 という方を信じるが、それはなんの根拠もない>・・・というくだりを引用しておられます。
もし、進化論が真実なら、我々の人生は偶然の膨大な積み重ねによって造られた偶然のいのちです。そのような偶然のいのちの人生に意味なんか見いだせるでしょう?また、そのようないのちを持つ我々が、自分探しと称して長い時間をかけて注意深く適正を見極め、職を探しては、自分に合わないと言ってすぐその職を辞めていくような行動にも余り意味を持ちえないと思われます。何故なら偶然のいのちだから・・・。偶然のいのちだから、親子の縁も偶然、夫婦の縁も偶然です。欲望のままに好き勝手に生き、好き勝手に恋愛したっていいじゃないかといった論調が生まれたって不思議ではありません。別れたって偶然のいのち同志、どうってこともありません。偶然で生まれた他のいのちである他人を傷つけても、どうってことはありません。誰を恐れる必要もありません。何故なら、偶然の連続のいのちだから・・・。好き勝手に生きて好き勝手に死んでいく・・・。さらに、偶然のいのちが集まった社会においてモラルとか道徳とかを考えることもあまり意味を持たなくなります。こんな価値観に捉えられても不思議ではありません。人生に絶望して悲観論に陥っても無理からぬことです。
進化論というもっともらしい誤った仮説は人々を聖書から遠ざけてしまいました。正しい神観や宇宙にも人間にも創造された目的があるということ、さらに、神様が愛であることを否定するようになってしまいました。このように、「進化論」 という間違った価値観にとらえられてしまうなら、人生を生きる意味を見いだせず、生きる希望も持てなくなります。「進化論」 という無神論を土台とする一つの信念にすぎないものが「絶対的真理」として間違って教え込まれている日本人の多くが、「人生の意味」を感じることが出来ず「生きる上での希望」失っているのは至極当然といえます。しかし、創造論が真理なら話は劇的に違ってきます。我々が今ここにいるのは偶然ではありません。神様のご計画に従ってここにいるのです。親子のつながりも神の計画の内にあって意味があり、夫婦の結びつきにも意味があります。
天地万物・宇宙を創造され我々を造られた方は、我々の心まで全て深く見通しておられ、我々の行動を全てご存知で我々をじっと見つめておられる全知全能なるお方です。我々はこの方こそ恐れなければならなりません。
箴言1章7節
主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。
ヘブル人への手紙9章27節
そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、・・・
今回の震災によって、我々は今まで以上に死を身近に意識するようになりました。どこに住んでいようと日本に住む限り大地震に遭遇する可能性があるかです。聖書には、我々は一度死ぬことと死んだ後、さばきを受けることが決まっている!とあります。どうでしょう?皆様!そのさばきに耐える自信がおありですか・・・?でも、御安心を!聖書は続けて語っています。
ヘブル人への手紙9章28節
キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。
キリスト教の本質は、我々が今現在、肉体を持って生きている時に、イエス・キリストとどのような関わりをもったかで永遠が決まるということです。主イエスキリストは我々の罪を全部背負って、我々の身代わりに十字架に架かって死んで下さり、死に打ち勝って三日後によみがえって下さいました。このお方を個人的な救い主と信じるだけで天国に行ける道が拓かれる!これが福音の本質です。これをそのまま信じて実行した人々は、今まで経験したことのない深い平安と安心感に包まれる体験をします。これこそ聖書の御言葉が真実であることの証拠であると私は思っています。その聖書は2000年近くも前からこの真実を語り続け、今も世界中でベストセラーであり続けています。そして、この御言葉は今も色褪せていません。
創世記1章1節、26~27節
初めに、神が天と地を創造した。・・・そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
3500年前に書かれた旧約聖書のこの御言葉の重みをしっかりと受け止めたいと思います。神様にかたどって造られた我々の人生には意味があります。人生には、「神様からの愛を自覚し、人々と互いに愛し合って生きる」 という愛し愛されるすばらしい喜びの関係があり、「神の御子主イエスにあって、我々は死んだ後も神とともに永遠に生きていける」 という永遠のいのちの希望があるのです。神様の麗しい御計画の中で、神様から愛される愛を人は体感し、さらに、人々を愛し、また人々からも愛される喜びと潤いに満ちた本来の人生が待っています。「創造論」を信じるならば(それは、科学的にも根拠があると私は信じていますが・・・)、すばらしい人生の意義と喜びを実感でき、永遠の希望を持つことが出来るのです。