聖書と映画~ターミナル~

「聖書と映画 ~ターミナル~ 

最近、「ターミナル」という映画を見ました。米国の空港に到着した主人公は、入国する寸前にパスポートが没収されてしまいます。実は主人公の祖国にクーデターが起こり、その瞬間にパスポートもビザも無効になってしまったからです。自国のお金も全く無効になり、一夜にして無一文になり、しかも、法の狭間に陥ってしまった彼は、入国も出国もできず、言葉が不自由なまま、空港で暮らすことを余儀なくされます。しかし、主人公は忍耐と知恵をもって英語を習得し、空腹を満たす為にお金を稼ぐ方法も覚え、空港に行き交う様々な人々の問題を解決してあげていくのです。人々の心に喜びとインパクトを与え、彼の人望は徐々に広がっていきます。そして、10数ヵ月後、彼が空港を出て行く時は大勢の応援者が彼を送り出すことになっていきます。

真実の行動は、言葉を越えます。我々の教会のセルグループ活動が目指す“癒し癒される人間関係”も、ある意味、言葉を超えた喜びの関係です。映画「ターミナル」の主人公は、じっと待つことを知っていました。我々現代人は、じっと待つことに余り慣れていません。効率化とスピードが求められ、いつも何かに追い立てられ、すぐに結果を求めてしまいます。その習慣から、祈ってすぐに、神様からの答えを期待してしまいます。しかし、祈りは必ず主に覚えられていると信じて、じっと待つ時に、主に対する信頼も深まっていく、そんな世界があります。じっと跪いて主を待ち望むこと。そして、主の御介入を待ち望むことは、我々の生活にとって、非常に必要なことではないでしょうか。たとえ限界に突き当たっても、我力でもがこうとせず、祈りつつ、祈りを聞かれる主の御介入を待ち望むこと。そのような心のあり方も信仰者には要求されているように思えます。聖書は言います。

「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。(イザヤ書40:31)」