聖書と映画~汚れなき悪戯~

 「聖書と映画 ~汚れなき悪戯~ 

 「汚れなき悪戯」という素晴らしいスペイン映画があります。主人公は捨て子でしたが、修道院で育てられました。「絶対2階にあがってはいけないよ、もし2階に入ったら大変な事がおこるから・・」と修道士達におどされるものの、好奇心旺盛で腕白な主人公は戒めを守れず、2階にあがってしまいます。そこで、十字架に磔にされたイエスキリスト像を目撃し、驚いて部屋から飛び出します。その後、イエスキリストの像が気になって気になって仕方がありません。可哀想なので、何とかしてあげたいと思うようになるのです。あの磔にされている人はお腹が空いているからあんなにやせ細っているんだと、幼い主人公は思い込み、台所から食事を盗んでは、イエスキリスト像に差し入れを始めます。すると、イエスキリストの像がゆっくりと動き出し、幼い主人公が差し出すパンとぶどう酒を食べ、話し始めるのです。主人公はイエス様と人格的なお交わりをしました。

 私どもは、聖書の御言葉を単に頭で理解することに時間を費やすことがあります。しかし、神様は人格的なお交わりを私達に望んでおられるように思います。イエス様の足元でお話を食い入るように聞き入っていたマリアを、姉であるマルタは見咎めました。そしてイエス様にマリヤの態度を叱ってもらうようにお願いしました。しかし、イエス様はお答えになります。「『マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。』(ルカ10:42)」私たちは日々忙しく過ごしているために、本当に大切なことを見失いがちです。本当に大切なものの一つに、神様との親密なお交わりがあります。静かにじっと座って神様の御声に耳を傾けていく時間を持つ時、神様は我々の全てをご存知の方ですから、深い癒しの御言葉を下さいます。神様の深い慰めの御言葉に触れるとき、涙が溢れ、深い癒しがもたらされていく、そんな世界があります。素晴らしい恵みを神様は下さるのです。