聖書と映画~明日の記憶~

「聖書と映画 ~明日の記憶~ 

 「明日の記憶」という映画があります。主人公(渡部謙)は、広告代理店で働くバリバリの営業マンです。多くの部下を統括し、取り引きでも大きな成果をおさめていくのですが、同僚の名前を失念するような物忘れが頻発し、仕事上でも大きな失態を演じて深く落ち込みます。妻(樋口可南子)は、夫が鬱病ではないかと心配し専門医の受診を勧めます。そして、若年性アルツハイマー病の告知を受けてしまいます。ショックを受けた主人公は、混乱し落胆して座り込みます。そして、傍にいる妻にこう言います。「おまえは、俺が俺でなくなってしまっても平気なのか?」と。妻は答えます、「平気じゃない。私だって恐いわ。・・・」。夫の頬を伝って流れ落ちる涙を妻はぬぐってあげながら、「私がいます。私がずっーと、そばにいます。だって、家族だもの・・・」と優しく語り、夫を慰めるのです。その後、病気の進行を抑えるべく夫婦二人三脚の戦いが始まっていくのです。このシーンを見るたび、夫婦愛の素晴しさに、私は目頭が熱くなります。人が困難な状況に呻吟し苦しんでいる時、その切なる思いに深く共感してくれて励ましながらずっと寄り添ってくれる存在ほどありがたいものはありません。この深く共感する思いこそ、我々の教会が求める「癒し癒される」喜びの根幹をなすものだと信じます。そして、はらわたがちぎれる程の深い共感の思いこそ、イエス様の愛であります。そのイエス・キリストの救いの恵みによって、我々にキリストの花嫁という素晴しい特権が与えられます。花婿であるイエス様は語られます。「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。(ヨハネ14:18)」さらにこうおっしゃられます。「わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。(マタイ28:20)」深い悲しみや憂いが、花婿なるイエス様によって喜びに変えられていく、そのような世界が開かれていくのです。