聖書と映画~三丁目の夕日~

 「聖書と映画 ~三丁目の夕日~ 

 「三丁目の夕日」を紹介したいと思います。時は昭和30年代、吉岡秀隆扮する主人公は駄菓子屋の親父です。東大という最高学府を卒業しているものの、芥川賞に落選を続け生活力も金も力もない小説家です。そこに、美しいヒロインが出現し、主人公の胸はときめきます。クリスマスの夜に婚約指輪を手渡そうと思い、意を決してその箱をヒロインに差し出します。箱のふたを開けてみると、ナント、何も入っていません。主人公は叫びます。「スマン。この通りだ。今はお金がない。原稿料が入ったら必ず中身を手に入れて渡すから・・・」ヒロインは箱を見つめ、手を差しのべてこう言います。「つけてよ。いつか買ってくれるというその指輪、私の指につけてよ。」主人公は目に見えない指輪を箱からそっと取り出して、ヒロインの指に優しくつけてあげます。ヒロインは目に見えない指輪がついた手指を裸電球にかざして、涙を流しながら、「綺麗・・・」とつぶやくのであります。何回見てもこのシーンは私の目頭を熱くさせます。そして、信仰もそうだな・・・と思うのです。

聖書は言います。「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。(へブル11:1)」長期間コツコツと祈り続けてはいても、神様はこの祈りをかえりみて下さるのだろうか、といった不信の思いがまとわりつくことがあります。しかし、それを乗り越えていく励ましを御言葉は下さいます。「だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。(マルコ11:24)」まだ実現しておらず見えてないこと、それが既に実現しているかのように、祈り、信じ、そのように振る舞い続ける時に約束のものが手に入ってくるという聖書的真実があります。不断の祈りや信仰の代価・労苦・涙を乗り越えて神様から賜ったものだからこそ、いただいた恵みの重みと尊さとを知ることになるのです。