聖書と映画~大草原の小さな家~

「聖書と映画 ~大草原の小さな家~ 

 今回は「大草原の小さな家」を紹介します。このドラマはアメリカ開拓時代の理想的なクリスチャンホームを描いていますが、クリスチャンだからといって困難が全くない訳ではありません。あの時代にも、現在我々が体験する人間関係などの様々な問題は既に存在していたことがわかります。でも、主人公達は神を恐れつつ、祈りを持って、神と人に対して誠実に取り組んでいきます。聖書は言います。「昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない。(伝道者の書1:9)」

彼らを取り巻く登場人物たちも中々個性的で魅力的です。近所に住む年老いたある母親が、せめて生きているうちに子供たちに会いたい孫たちに会いたいと嘆いています。会いに来てくれないならば、偽りのお葬式を開いて、物陰に隠れて彼らを見つめたいと切々と訴える為、主人公達は不本意ながら手を貸すことになります。お葬式の日が来ました。遺影を前にして長男と長女が語り合っています。「自分達は厳しい躾を受けてきた。お母さんのあの自信にうんざりしていた。だけど、いなくなってみるとさびしいものだ・・・」その会話を聞きながら母親は物陰で涙ぐんでいます。そこに、15年間音信不通だった次男が飛び込んでくるのです。母親は思わず姿を現し次男をしかりつけます。「手紙が届くたびに死亡通知かと冷や冷やしていたのよ。私がどんなに心配していたのかわかってるの!」葬儀の場は騒然とします。そりゃそうでしょう。死んでいたはずの人が生きていたのですから。しかし、母親は訴えます。「生きているうちに一目でいいから会いたかったの。だって、あなたたちは私の唯一の生き甲斐なのよ!」その言葉を聞き、皆涙を流しながら抱き合って自分たちの不義理を悔い改めるのです。子を思う母の愛は神様の愛でもあります。天地万物を創造された神様は我々に継続して次のように語りかけておられます。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(イザヤ43:4)」