3月の証(あかし)~M.Kさん~

  私は人との関係で困難を感じるとき、その原因が「自分の考え方が正しい」「自分の思い通りに物事を進めたい」という自分中心の考え方からきている時があります。以前はそのことに気づいても「私は悪くない」と思い続けていました。でも自分が正しいと思えればそのことが平気になるはずなのに、いつも晴れない心を引きずっていました。

 でも私の中に、相手を愛して仕える心がなかったことを認めて、神様に「愛する愛をください」と祈るようになったとき、相手を赦し、祝福する思いに変えられました。また、私が思い通りにコントロールしたいことも「最善を知っておられる神様に信頼して、このことを委ねます」と祈るとき、心が楽になりました。このように祈るようになって、以前よりも素直に謝れたり、人を赦せるようになってきました。

 自分が間違っていたこと、失敗したこと、人を傷つけていたこと、人のためのふりをして実は自分のためにしていたこと…を認めることは最初はなかなかできませんでした。

 でも教会で神様の愛や罪の赦しについて繰り返し学びました。神の子であるイエス様が私の罪の身代わりに十字架にかかって苦しんで死んでくださったこと。復活してすべての罪に勝利してくださったこと。そのことを信じ、イエス様が私の救い主だと告白したことで、私の罪が赦され、天国に国籍ができたということです。

 まず私が愛されていること、赦されていることを思い出す時、神様の愛に応えて、自分のプライドが満足するかではなくて、私も少しでも人を愛して赦す人間になりたいと思えるようになりました。

聖書は私たちに、神様がどれほど私たちを愛しておられるか、また私たちが神様を愛し信頼する人生がどれほど幸せかを教えてくれます。人との関係でもお互いを愛し尊敬しあい、上に立つ人に従うことの大切さを教えています。それは私の重荷をおろし、この人生で祝福を受けるための秘訣でもあることを知りました。

 今でも自分の非をすぐには認められない時があります。神様の計画が一番だと分かっていても、なかなか自分の考え方ややり方を変えられないこともあります。でもイエス様の愛に応えて、神様と人を愛せるようになりたいと思います。

そこでイエスは彼に言われた。「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」これが大切な第一の戒めです。「あなたの隣人もあなた自身のように愛せよ。」という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。

マタイの福音書223739