私は小学校三年生の時に洗礼を受けた、三代目クリスチャンです。
クリスチャンと言っても私の場合、当時親に連れられて行っていた教会で、
小学三年生ぐらいになったら洗礼を受ける子供たちが多かったので、
それに乗っかって受けた、言わばクリスチャンもどきでした。
実際のところ神様の存在は信じていたけど、
「イエス様はあなたの罪の身代わりになって死なれた」といくら教えられても、
イエス様を自分の救い主として受け入れる、ということはあまりよく分かっていなかったのです。
小学校高学年の時にイジメにあい、不登校になりました。
教会には教育関係の方が多かったので、私たち家族はあまりよく思われませんでした。
礼拝も日曜日なのに歴史の授業をさせられている、という感じでたいくつ。
たいくつそうな感じを素直に表してしまうと、「これだから学校に行かない子は」と影でよく言われました。
だんだんと教会に行くのが辛くなり、逆に教会のクリスチャンに対して偽善者たちの集まりと思うようになり、ついには教会に行くのが怖くなり、ほとんど教会に行かなくなりました。
ただそんな中、「神様は人間とは違うからきっと私のことを批判したりはしないだろう」と少しばかりの期待は持っており、時折、祈ったりもしていました。
幸いにも、私が祈ったり賛美したりすると、時々聖霊さまが感動の涙を与えてくださったので、私はこの神様が本物だという確信は持っていました。
20代になった私は、やはり教会には苦い思い出しかなく、ずっと行っていませんでした。
もちろん聖書もディボーション※1などもたいくつなのでまったく手を付けていません。
でも内面、父や母の信仰を羨ましく思っていました。
というのも、イエス様を信じ、自分の救い主として受け入れなければ天国へは行けないということを教えられていたからです。
でも私は聖霊さまに触れられる経験をしているにもかかわらず、ずっとイエス様を100パーセント救い主として受け入れている確信がなく、焦っていました。
時折ケイキョ※2や終末の話が出ると、私は不安にかられました。
世の中では地震や津波など、予言の現象が度々起こっていたので、ますます焦っていました。
そして神様に「どうか私を救ってください、信じさせてください」と何度も何度も祈りました。
でもその祈りはすぐには聞かれませんでした。
丁度そのころから、姉や妹が新しい教会に行くようになり、とても恵まれて、満たされ、幸せな顔をして帰ってくるようになりました。
奉仕活動※3にも熱心で、早天祈祷にも毎日のように通います。
私は内心本当に羨ましく、私もそうなりたい、と思いましたが、20代になったばかりのころ社交不安障害とウツにかかり、教会には行けませんでした。
そしてますます私は焦りました。
早く信じないと!早く信じないと!地獄には行きたくない!といつも思っていました。
何度も祈りましたがいつも答えは返ってきませんでした。
私は祈るのに疲れたので「もうお任せします。あなたのご計画がなりますように」と最後に祈り、それから「委ねる」という名の無視を数年間にわたって行いました。
(後半へ続く)
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※1 ディボーション・・・聖書を読み、静まって黙想する時間を持つことで、神様が語られることに耳を傾けること。
※2 携挙(けいきょ)・・・イエス・キリストが再び地上に来られる時、クリスチャンが空中に引き上げられ、いつまでも神とともにいられるようになること。(テサロニケ人への手紙第一4章16~17節より)
※3 奉仕活動・・・教会生活のためにする色々な働きのこと。人からの報酬のためではなく、神様に対して捧げるもの。
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