私は、結婚前に創世記の御言葉に感動を受けました。
創世記2章の22節です。
神である主は、人から取ったあばら骨をひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて来られた。
当時の私は、お世辞にも結婚出来る要素は1つも、見当たりませんでしたが、神様は、私を造り私の結婚相手も造ったはずと思い、毎日ではありませんが、送信メールに結婚したい人の条件のリストを、書いて寝る前に眺めていました。
そうこうしていると、母より、突然、「お見合いせんね…」と言われて、お見合いすることになりました。それは、創世記の御言葉を発見して、8年たったある時でした。
お相手は、母の会社で働いている、無口な男性とのことでした。話しを聞いていると、母は、大変その方を気に入っているようでした。
お見合いの席で私は、自分とイエス様の話をしてしまいました。なぜ教会に行ったのか?なぜ私にイエス様が必要なのか?一方的に語ってしまいました。途中で母も私も涙があふれてきて、お見合いは失敗と思ってしまいました。
「私に愛を下さったイエス様が、あなたに下さらないはずはない。教会に来て、人生やり直しましょう。」私は、彼に熱く語ってしまいました。お見合いはもう完全におしまい…と私は心でひそかに、思いましましたが、彼は、イエス様を知りたい…と純粋に思った様で、次の週、教会の礼拝に出席してくれました。
今は、私以上に神様を愛するものに変えられます。そして私たちは結婚し、今、二人で教会に仕えています。
主に栄光を返します。