人生にずっと苦労がつきまとう友人というのが、周りを見回すと一人くらいはいます。私の職場のAさんもそんな人です。初めて職場に入ってきたのは、かれこれ、20年近く前でした。パートの求人を見て、面接に見えたとき、その明るくて聡明そうな雰囲気がインパクトがあって、すぐに採用されました。
でも、そのとき、実は、彼女は、ご主人の連帯保証人になって、その借金を返すために、多くのアルバイトを掛け持ちしていました。
ご主人は、事業に失敗して借金苦にあげき、すべての責任を彼女に押し付けて別のところに逃げていました。
また、彼女は、施設に預ける障害をもったお子さんまでいました。
彼女の働きぶりは、すばらしく、職場の雰囲気も、彼女のおかげでよくなりました。
しかし、採用されてから今までの長い年月も、多くの試練が彼女にやってきました。
弟さんがガンで、若くして亡くなったり、障害をもったお子さんの持病で、何度も施設から病院に入院しては、高い付き添いさんの費用を負担しなくてはならないこともしばしばでした。別のお子さんの上に大変なことがおこったことも幾たびかありました。
まわりの人たちは、彼女に何か問題があるから、こんなにいろいろあるのでは、なんて、陰口をたたきたくなるほど、試練のオンパレードです。
人柄の良い彼女のために、できるだけの応援をしていた私ですが、彼女をそのすべてから救ってあげるわけにはいきません。
働けども、彼女の生活は、いつも苦しいままでした。
クリスチャンの私は、そんな彼女を見つめながら、生きている聖書の神様なら、彼女をなんとかしてくれるんだけど、と、感じていました。神様が、なぜ、彼女にこんな試練を与え続けるのか、わかりませんでしたが、神様が、彼女を愛しておられることを強く感じていました。
おりにつけて、神様のことを伝えました。しかし、人間的な強さをもっている彼女は、いつも、自分の力でがんばり続けました。
月日は流れ、20年近くがたちました。彼女の状況は、借金の残債だけは減っていきましたが、飛躍的に良くなるわけではありませんでした。
ある時、彼女は、とうとう神様の前に泣き崩れました。もう自分の力でがんばっていくことに疲れ、神様の前に弱い自分のままで、行くことにしたのです。
3年前に、彼女は、聖書の神を受け入れ、洗礼を受けました。
それから、3年が経ち、ふと気づくと、彼女の表情は柔らかくなっていました。いろんなことがおこっても、彼女は、どこか平然としていました。そして、その見込み通り、最後にはいつも、ちゃんと助けがあり、彼女の状況は少しずつ良くなっていっていきました。いつも自力でがんばる彼女は、いつのまにか、神の前に、自分の限界をあずける人になっていました。試練の中にあっても、どこか、喜ぶ人になっていました。
彼女は、
「もし、ここにきていなかったら、私は、自殺していたと思う。」
とよく言います。神が、初めから、彼女を守り、クリスチャン経営者のこのオフィスに導いたご計画を思います。
あなたがたがわたし(イエス・キリスト)を選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。 ヨハネの福音書15章16節
と聖書にあるように、試練の時も、いつも、神が、彼女のそばにいたことを垣間見るのです。
そして、彼女は、試練を通された経験を持つので、多くの試練にある人たちをよく励まします。彼女のまわりには、本当に人が集まってきます。