このわたし(神)はあなたを忘れない。
見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。
イザヤ書49章15~16節
私はここ、オイコスチャーチで洗礼を受けてもうすぐ丸一年が経とうとしております。
それまで、重度のうつ病に悩まされておりました。食べ物も、飲み物もうけつけず、痩せてゆくばかり。「こんにちは」の一言さえ、私の胸には突き刺さって取れる見込みのないそれはとげのようで、散り散りになった先端が、胸から全身へと駆け巡り、最後は霧のように私の中を覆ってしまうのでした。心が腐るとはこんな風なのかもしれないと、その頃、ふと思った記憶があります。
ところが最近は食べ物が美味しくて々々しくて。とうとう料理などし始めたり。それまで出来なかったことが出来るものだから嬉しくて。
子供の学校行事にも参加できるようになりました。ついには仕事をはじめました。
ああ、なんという幸せ。
私は神様を信じないという人がいたらやっぱりにこりと微笑むのです。微笑みながら毎夜その方が救われますようにと祈るのです。幸せの概念とかなんとか哲学はすきではないから分かりませんが、神様の深さと高さと清さと憎らしいほどの愛情とが、欠片として降り注ぐ瞬間みたいなものを、その方達は経験なさってないのだと、ほんのしばしの間、自分もかつてはそうだったと記憶がよみがえってくる。
神様の示す道に従順に「はい」とだけ言って頷いて従った私は幸いでした。
でも怒涛の涙を流しながらでの私の神様への従順なんて、神様を信じない人からしたら悪寒が走るというものかもしれない。
過日、時に号泣。
私の本心、やっぱり人が怖かった。
からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方(神)を恐れなさい。マタイの福音書10章28節
こうありたいものだと思いながら、堅く握りながら、目をつむっても瞼の裏にそれがべたりと張り付いていて、神様の思い通りにならない私にさえ、神様は希望の虹をかけて下さるのです。
それらすべてくるりとはぎ取っての証です。
私はやっぱりこんな風にしか証できないけれども、神様はきちんと見ていて下さっていて、私に目をかけて下さって、柔らかな手で包み込んで「私」を少しずつ造り替えてくださるのです。こうして古い「私」はいつの間にか消えてしまって、新しくされて幸せな私だけこんな風にパソコンの前にちょこんと座っております。
どうか神様なんか信じないという方がいたらなぜこのホームページをご覧になったのかを考えてみて下さい。
神様はいつも側で囁いておいでです。
おわり