「孤独な叔母に目を留めた神様の愛」
私の叔母は、20代で統合失調症と診断されて入院生活をしていました。私が物心ついた時の思い出は、叔母は入院生活をし、外泊の時には我が家に寄り、玄関先で用事を済ませて帰っていました。私は、マイペースで変わっている叔母を好きにはなれませんでしたし、見下していました。親戚という意識も薄かった様に記憶しています。叔母も75歳になり、相変わらずの生活の中、私の母の死後に変わったことは、面倒を見ていた私の父が、月1度は我が家に外泊させるようになったことでした。ある日、私が帰省すると叔母が外泊していました。私は「相変わらずだな」と感じていました。
ある時、私の叔母に対する心の変革の時がきました。私たちクリスチャンは、朝、聖書を読んでお祈りをして一日をスタートします。その時に、私の心にこんな語りかけを神様がしました。「あなたは、この娘(叔母)が50年も入院生活で牢獄の様な生活をしていた気持ちがわかりますか。あなたは、何故、そんな思いで娘(叔母)を見るのか・・・・」私は、自分の恐ろしい心にはっと気付きました。私は叔母をさげすみ、好きになれず、意地悪な心で見ていたことに気付きました。神様の語りかけに涙が溢れて、自分の心の醜さを悔い改めました。そして、叔母の外泊の時には、帰省して関わりをもつことにしました。叔母は相変わらず、マイペースで変わった人のままでした。
ある日、神様に促されて、私が信じているイエス様の話と信仰告白の導きを叔母にしました。人の話など聞かない叔母でしたが、最後まで私の話を聞いてくれました。そしてイエス様を救い主として受け入れ、信仰の告白をしました。それから、月1回のペースで共に祈る時をもちました。それから、叔母に変革がおとずれました。統合失調症が治り(マイペースな性格は残っていましたが)、精神病院を退院し、何と老人ホームに入居できました。老人ホームでは叔母はニックネームで呼ばれ、皆さんに愛され、助けられて、幸せな日々を送れた様です(一度も外泊を希望しない程に)。その間も私は適期的に訪問し、お誕生日などをお祝いしていました。
それから10年が経ち、昨年、老衰にて私の叔母は天国に旅立ちました(85歳)。この叔母の最初の50年は、私の父以外には誰も面会する者がおらず、人に関心を持たれず愛されることも無く、誕生日に「おめでとう」と祝われることもありませんでした。しかし、神様は50年間精神の病で入院していた叔母に目を留めて下さっていました。叔母を愛して自由にし、一番よきものをくださいました。それは、救いと癒し、そして穏やかで幸せな日々でした。
聖書の中に、イエス様は人が目を留めない人々の所に行き、その人を愛して、人生を変えてくださった箇所があります。イエス様は、私の叔母にも同じ様にして下さいました。
「わたし(神)の目にはあなたは高価で尊い。わたし(神)はあなたを愛している」聖書
神様の深い愛と導きに心から感謝と賛美を捧げます。
神の家族の兄弟姉妹へ
「主イエスを信じなさい。あなたもあなたの家族も救われます。」と聖書にあります。イエス様は真実なお方で、そうしてくださいます。その秘訣は、私たちクリスチャンが、詩編51編の様に自分自身を悔い改めて、そして、神の国と神の義を第一として、信仰をもって、神の語りかけを一つ一つ行っていくことです。私が変わった時に、叔母が救われ、父も救われました。父の救いについても、いつかお証したいと思います。