証(あかし)2026

◎神様に励まされた証

私は、洗礼から29年のクリスチャンです。受難週に向かうシーズンに自分の歩みを思っていました。人々の救いを思いながら「私は何をしているのか」という思いが来ました。

私はキリスト教系の職場で4年間働きました。週3回の朝礼では、讃美歌や聖書のお話を聞いていました。クリスチャンや牧師先生との関わりもありました。その4年では、これだけ聞いても触れても「イエス様」「十字架」を意識したことはありませんでした。

その後、クリスチャンの夫と出会い、試練を通して信仰を持ちました。それを思い出しながら、キリスト教系職場の4年間の多くの方々の祈りや宣教は一つも無駄ではなく、それが後に実を結んだことを改めて受け取りました。

特別なことが起きない日々の祈りや宣教も、虚しく思えても尊いことを思いました。聖書を思い起こしました。

善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。」ガラテヤ人への手紙6章9節

みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」テモテへの手紙第二4章2節

私たちの日々は、尊く、無駄な日はないことを覚えて、改めて生かされている意味に励まされました。

◎神様の備えを体験した証

私たち夫婦は、夫が仕事をしながら、私たちの教会の牧師のご指導を受けながら、信徒で開拓伝道を始めました。そのうちに、伝道師、牧師へと歩みました。夫は神様大好きで一途なリーダーでした。その夫は、いつも周りの牧師先生方や私たちの教会、他教会とのやりとり、コンタクトを私にばかりさせるので、私は不満を持っていました。時々私は「私ばかり連絡したり、連絡を受けたり。自分でもしてほしい」とつぶやいていました。

今、開拓から25年ほどになりまして、神様の深い備えを覚えています。夫は4年前に天に帰りました。私がバトンを受け取り歩んでいます。たくさんのクリスチャンや牧師先生たちに助けられ、神の家族の交わりを持たせていただいています。皆さんに感謝しています。

もし、夫が何でも自分で周りとやりとりをしていましたら、私は今のような牧師先生たちとの集まりは億劫であり、苦痛であり、孤立していたかもしれません。牧師先生たちに愛情深さもあるからですが、家族のように集い、話し、祈りあえています。

また、夫がいつも国内外の集会や学びに私を連れて行ってくれたことも、今のための備えであったと覚えます。その時は、恥ずかしいくらいに理解できなかったり、不平不満を覚えることでさえ、神様は先の備えとして用いて下さるお方であることに感謝します。また、人知を越えた備えを賛美します。

まさしく、聖書に書いてあるとおりです。『目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神が備えてくださったものは、みなそうである。」コリント人への手紙第一2章9節

◎癒しを体験した証

右膝の調子が悪く痛みがありました。それで礼拝後に癒しを祈ってもらいました。しばらくして膝の痛みがなくなりました。その日は午後から教会案内をポスティングする予定でした。最初は参加するつもりはありませんでしたが、行ってみようという思いになり、参加しました。一緒に行った方が驚くほど歩き回りポスティングすることができました。その後疲れは出ましたが、それも癒されました。

◎神様を体験した証

先日、たまたま教会でウナギの話になりました。ウナギが食べたいなぁ、でも高いしなぁと思っていました。その二日後、応募したのを忘れていた懸賞のウナギが当選して送られてきました。神様が私たちの話を聞いていて、願いも聞いてくれた!と感謝でした。