証(あかし)2023

◎神様を体験した証

神さまに捧げていなかった献金に気づいて、さかのぼって捧げることにしました。その準備をしているとき、過去に私が受け取った雇用保険の追加給付のお知らせ※が届き、給付されることになりました。神様に誠実を果たすとき、思いがけない方向から、私にも誠実が返ってきました。(※統計の不正によって雇用保険の給付額が低く計算されている人がいて、私が該当していたとのことでした)

◎神様を体験した証

私は洗礼を受けてから教会を離れた時期がありました。その頃は感情のアップダウンがあったのですが、今再び教会に通うようになり、次第にアップダウンがなくなりました。もちろんそれから何も問題がないわけではないですが、神様に全てをお任せしたことで、とても気が楽になりました。そして自然と、平安と感謝の心に満たされていることに気づきました。

◎神様を体験した証

体調を崩して死を意識したとき、今までにない恐れが来ました。それは死への漠然とした恐れではなく、家族との別れに対する恐れでした。そのことで、神様を第一としていないこと、家族が偶像になっていたことが示されました。もう一度十字架の愛の恵みに帰り、家族は愛するけど握りしめていた手を離し、主にゆだねる祈りをする中で、平安に変えられました。祈ってもまた握ってしまう時がありますが、何度でも神様に帰り続けたいです。

◎神様を体験した証

今まで以上に、教会や牧師やリーダーのために祈り始めた時、神様が私自身にも語りかけてくださいました。とりなして祈る恵みを体験しました。

◎癒された証

突然足の甲にかゆみが出て、眠れない程になりました。それが落ち着いたと思ったら頭のかゆみが続いて、毎日ストレスを感じていました。でも必ず癒されると信じて祈るうちに完全に癒されました。

◎癒された証

長年、親戚の集まりに「行かないといけない」という思いから、参加するのに緊張して気が重くなっていました。でも今回「神様が私をその集まりに遣わしている」という思いに変えられ、まだ救われていない家族への愛が与えられ、喜んで参加することができました。

◎神様に気づかせてもらった証

最近、町が変わってきました。次から次に慣れ親しんだお店がなくなります。私は、とてもさみしく思っています。大切な人との思い出もなくなるような気持ちです。しかし、ふと、変わらないものがあることに気づきました。イエス様が変わらずにそばにいて支え、共に歩んでくださっていることです。お祈りや聖書の御言葉が私を造り変え、生かしています。神様に感謝します。

たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない、」とあなたをあわれむ主は仰せられる。(聖書)

讃美歌「移りゆく時の間も」

移りゆく時の間も 悩みに勝つ力 父より受けしわれは 心に恐れなし

愛に見てる御神は 恵みを日々与え 悩み苦しむときも 憩いと安き賜う

 

◎神様が助けてくれた証

欲しいものがあるけどお金がなくて、お金をもらえる予定もありませんでした。でも神様に祈ったら、その後、おばあちゃんからお小遣いがもらえました。

 

◎心が癒された証

心に大きな重荷がありましたが、イエスの名でその重荷を追い出す祈りをしてもらうと、心が軽くなりました。

◎神様に心触れられた証

私はピアノを弾くとき、最初に「ハレルヤ」を弾きます。その時、涙がこみ上げることがあります。また運転しながら祈っている時、聖書を読んだ後にも、涙がこみ上げることがあります。私は元々泣くことがなく、まして教会から離れているときには全く涙を流していませんでした。今、神様が心に触れてくださっているのかなと思います。

◎神様を体験した証

昨年の8月、遠方に住む両親と数年ぶりに会う計画をしました。でも行く直前に私と家族がコロナになり旅行はキャンセルになりました。神様に「なぜこんなことになったんでしょうか」と祈ると、繰り返し「わたしに任せなさい」と語られました。その後、幸い体調も回復し、また日常生活に戻りました。そして2か月後の10月、海外在住の弟が一時帰国することになり、その日に合わせて家族で帰省し、両親と弟と再会することができました。両親だけでなく弟とも会えたこと、コロナ給付金(ギリギリ給付金がもらえる時期に感染したのでした)が旅行資金になったこと、ちょうど帰省先の近くで野球の試合があったので家族で観戦できたこと…2か月前ならどれもできなかったことでした。神様に任せる恵みを体験しました。感謝します。

◎今月は、赦しを通して癒された証です

 

私は10代の頃から、「あまり喋らないね」とよく言われていたのですが、20歳くらいの時にはこじらせてしまい、口を開けるのもキツく、笑うこともできず、声がでるのに時間がかかるけど、一言喋るのが精一杯という感じでした。慣れていない人だと、言も喋れませんでした。人と喋っただけで、朝まで眠れませんでした。

みんなが普通に喋れるのが不思議でしょうがなかったです。最近になって、場面かんもく症というものだと知りました。

その頃は声にだして祈ることもできず、賛美歌を歌うことも、人に自分の歌を聞かれたらどうしようと、強い恐怖がありました。しかし神様は、「あなたが心の中で祈ってるのを知ってる。でも、あなたの声が聞きたい」と言ってくださいました。賛美を歌いたくなかったけど、どうしても賛美することを神様が導かれるので、押し入れで誰にも聞かれないように賛美してました。賛美をしようと思って座るだけでも、神様がすごく喜んでくれているのを感じ、神様は恵みを注いでくださいました。

神様は聖書のみことばを通して、「あなたの声は愛らしく、あなたの顔は美しい」と言ってくださいました。私は自分の声が好きじゃなく、自分を見られることも好きじゃなかったので、そのみことばがすごく感めでした。また神様は「あなたは美しいのに、なぜ隠れているのか」とも言ってくださいました。神様は私に、神様の花嫁としての自信を持たせようとしてくださいました。

ある時、教会の解放のミニストリーを勧められました。牧師先生やリーダーに導かれて、いままでに過去に受けた傷を赦す祈りをしました。

私はホームスクーリングで育ったのですが、子供の頃友達に、「学校に行ってないと立派な人間になれないってお母さんが言ってたよと」とたびたび言われるようになり、その時からあまり喋らなくなり、引きこもるようになったと母が言ってたので、そのことや、他にもたくさんの人から受けた傷を全部赦しました。

ミニストリーを受けてから、声がすぐに出るようになり、すごく喋りやすくなりました。

前は鏡を見てなんとなくガッカリしていたのですが、そんなことはなくなり、いまは声をだして笑えるようにもなりました。神様が挨拶することを導かれたので、挨拶がどうしてもできなかったのですが、挨拶ができるようになり、それからも色々なチャレンジをして、いまではすっかり喋れるようになりました!

電話もできなかったけど、いまは友達と電話で2時間くらい喋って、楽しいです!

賛美も、いまは教会でも家でも毎日喜んで賛美をしてます!恵みです!

前は祈れなかったけど、神様が祈れるようにしてくださいました!主は良いお方です!自分を癒してくださった神様に感謝します!ハレルヤ!

◎今月は、悔い改めを通して神様を体験した証です。

ある日、私の仕事のやり方について他の職員から、大勢の前で責められて、とても辛くなりました。

その後の休憩中、神様にその辛さから救い出してくださるよう祈りました。

すると神様は、私が心の中でその職員を裁いていたことを示され、私の悔い改めに導かれました。

そして聖書を開いたとき、このみことばが与えられました。「ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。また将来も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。」(コリント人への手紙第二1章10節)

私は「このみことば信じます!この(救い出されるという)みことばが私になります!」と宣言しました。

その直後、ある職員が「良い話があるよ」と私に話し始めました。それは私を悪く思っていた仕事相手の方が、私のことを「ちゃんと仕事をしてくれていたのに、私は誤解していた、申し訳ないことをした」と話していた、ということでした。しかもその話をしながら涙を流し、「(誤解されても)誠実を尽くしたね。何もない時より嬉しいね」と私をねぎらってくれました。この職員とは以前関係が悪かったので、この話を私に伝えてくれたこと自体が驚きで、嬉しかったです。

苦しみの中で神様を求めたとき、神様はまず私の心の向きを変えてくださり、そのあとに慰めと励ましをくださいました。すべてを見ておられ、導いて下さる神様の偉大さをほめたたえます。

◎神様を体験した証

私は10日ほど入院することになり、その間は携帯電話を使って、オンラインで朝晩の祈祷会や礼拝に参加しました。病室には同部屋の人がおられ、食堂にも人がいるので、声を出さず心の中で祈りました。退院の日、久しぶりに教会の祈祷会に参加しました。そこで声を出して思い切り祈ることができたとき、本当に胸がスッキリしました。オンラインでも、心の中で祈ることも恵みですが、教会で兄弟姉妹と一緒に祈れることは、本当に恵みだと体験しました。

◎癒しを体験した証

繰り返し動悸がするようになり、体のきつさと不安感に襲われて苦しんでいました。牧師にイエスの名で命じることを勧められ、心臓に「動悸よ治まれ、心拍よ正常になれ」とイエスの名で命じて休むと治まりました。

◎神様を体験した証

父が入院になり、心配した母が精神的に不安定になり、何度も遠方の母の様子を見に行きました。父の退院が延期になり、母がますます不安定になり、私もいつまで続くか分からない状況に体力的・精神的に疲れてきました。神様にこの状況が打開されるように祈り、セルや教会の方々にも祈ってもらいました。すると思いがけない方が助けてくれたり、父の退院が早まり、不思議な形で乗り切ることができました。

◎癒しを体験した証

忙しい数週間を過ごし、疲れや寒さで背中や体のあちこちにずっと痛みがありました。教会の方に、イエスの名で祈ってもらい、少しマッサージしてもらうと痛みが消えました。その後もしばらく忙しかったのですが、痛みなく過ごすことができました。

 

◎癒しを体験した証

12月中旬に、原因不明の胸の痛みで入院し、色々な検査をしていつ退院できるか分からない状況になりました。私は十数年間、年末年始を教会で迎えていました。今年は無理かなと諦めかけましたが、「年末年始を教会で迎えさせてください」と神様に祈りました。すると、入院時に異常に高かった数値が一気に下がりました。私は「もっと正常値にしてください」と祈りました。その後、様々な検査をしてもなぜ良くなったのか分からないまま、年末に退院することができ、教会で年末年始を迎えることができました。

 

◎神様の愛を体験した証

体調を崩し、身動きが取れない中で、私は何もできなくても神様から愛されていること、立場や役割があるから愛されているのではない、という神様の愛と恵みを体験しました。

今月は神様が時を治めることを経験された方の証です。

◎神様を体験した証

私のおじはがんを患いながら自宅で生活をしていました。以前から洗礼を受けたいと話していました。おばはすでに救われて、今は天に召されています。家族の支えの中、体調が守られ、かねてからお世話になっていた牧師の導きにより、3月10日に正式に信仰告白し、4月3日に洗礼を受けることができました。

同年の6月6日からおじは病院に入ることになりました。私は何かを感じ、6月2日の仕事が休みになったので、急きょ会いに行き、おじに触れて祈ることができました。痩せて弱っていましたが、祈っていくうちに少しずつ反応が出て、声がか細いながらもいろいろと話そうとしてくれました。その3日後、おじは天に凱旋しました。

以前にも、クリスチャンの父が入院中、最後にお見舞いに行った時「祈っているから」と父に伝え、その二週間後に父は召天しました。私はそれまで教会から離れており、まともに祈ることもしていなかったのですが、本当に父が苦しみから解放されるようにと祈っていたので、偶然とは思えませんでした。